トイレはここですか
下手の横好きというか、昔から文才はないのに自分の考えた文章を他人に向かって開陳するのが好きだった。
中学生の頃に稚拙な文を書き散らかしてはクラスメートに(強制的に)読ませ、そのリアクションを食い入るように見ていたのを思い出す。今思えば迷惑だったかもしれない。
でも、自分なりに工夫して書いた笑いどころで頬を緩ませてくれたらもう最高の快感だった。
時は経ち、高校に入学した僕は当時人気を集めていたSNSに没頭するようになった。
これもまた最高だった。
何の努力もしなくても思考のネタが落ちてきて、自分なりの見解をネリネリして世界に向かって放流すればダイレクトに反応が返ってくる。
特に僕が嬉しかったのはRTだった。
僕の文章を読んで楽しんでくれたのみならず、他人にも見せようと思うほどに気に入ってくれたのだ。初めて1000RT超えた時は本気で涙が出た。
時を経て20歳を超えた僕は、いろいろあってSNSをやめた。
やめた理由は何か事件があって懲りたとか、心情の変化とかどうとでも思っていただいていいが、そこはこの文章の要ではないので割愛する。
とにかく現在、僕は自分の書いた文章を誰かに見せる場、
言い換えれば「思考を発散する場」を失っていたのだ。
学校に通っているわけでもないし、職場では業務上の連絡と他愛ない世間話のみ。
退屈だった。
そこで僕はこの悶々とした「文章読ませ欲」の本質に気付く。
これはSNS時代において社会問題化している肥大化した承認欲求などではない。
『情報の排泄』なのだと。
情報の受け取りは、食事に似ていると思う。
食べたものが消化され、自分の血肉となり身体を形成するように、
受け取った情報は脳により処理され、自分の記憶や知識、思考となっていく。
…しかし、食べたものが消化器官を通って「出る」のと同様、
得た情報が脳を駆け巡って「出る」「出ようとする」こともまた、免れようのない人体の必然なのだと。
いや待ってそれだと僕自分の排泄姿を見せびらかしてるとんでもない社会的逸脱男じゃない??
いつもそうだ、長い文章書いてると筆(筆使ってるわけではないが)がノってきてよく分からんことを言い出すのが俺の悪い癖なのだ
一応体裁だけ整えていい文っぽく書こうとしてるのが逆に滑稽ですらあるしやりたいことに文章力がついてきてなさすぎてウケる
へっへっへっ、頭がおかしくなってきたぞ
天才になりたいなー!!!
ふふふふふふふ
めっちゃウケる
最高
2021年10月31日
新山球太
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