Spetsnaz サロン 第10夜

第10夜 「ベッカムみたいよ」

9夜からしばらく間が空いたのには正当な理由がある。Twitter競馬タイムラインが俄かに活気づく月末、ギャンブルの成績は先月あたりから地獄の様相を呈してはいたが、私も例に漏れずいつもより多めにギャンブルを楽しんだ。しかし今月もまた、風向きの悪い時は何しても駄目という古からの教訓を、改めて思い知らされるだけとなった。1ヵ月ぶり、226回目のことである。ミッドナイトでは、車券の本線ラインはいつも後手を踏み、ならばとアホの手習いの様に点数を増やす。するとレース回収1.02倍ならまだいい方で、初めから0.7倍になるとわかったギャンブルに、拍車を掛ける限度外のガミ目の応酬。戯れにオンラインカジノとやらに登録してみれば、即日で身に覚えのないアカウントロック。一体私が何をしたのだと天に吠えるも、天は何も応えない。Twitterを覗けば、タイムラインは常に的中した者で溢れていた。

明けの月曜日、朝から仕事に行く気にならず、遅刻の旨を連絡した時、私の頭には笠松の事しか無かった。馬券を買ってお金が増える喜び、成功体験を取り戻すには最悪の競馬場である。「競馬は記憶のゲーム」と言われる様に、記憶の積み重ねが馬の選択肢に大きな影響を及ぼす(少なくとも私は)。そして私が笠松競馬を記憶しているはずがなかった。馬券購入の原動力には、依存が必要である。ギャンブル依存が必要なのはもちろんそうだが(ギャンブル依存の方以外で、月曜の朝から笠松競馬をやっている人を私は知らない)、ここでの依存は馬券の選択を委ねるファクタを指す。人によっては指数だったり、ある人は血統。調教や厩舎、騎手、パドック、馬体、風水、占い、頭がどうかしてくると、来世からのお告げに頼る人もいる。私なんかは記憶だったりするが、その記憶に頼れない時、私は主にオッズにその身を委ねる。オッズは実に奥が深く、趣味で地方中央の時系列を全て収集しているのだが、突き詰めれば何かを会得できそうな、そんな雰囲気が漂う。それが時系列オッズ。多くの猛者達を葬ってきた競馬というゲームにおいて、中央地方問わず全ての競馬場で、唯一の法則があるとするのならば、それはこのオッズ変遷が最終的に辿り着く「人気」である。1番人気が最も馬券に絡み、人気を下げるごとにきれいに馬券率が下がる。当たり前のことのようで、なぜ当たり前にそうなるのかは誰も答えられない。なぜならば人気は人の意思だけでは完璧に作り得ないからである。だから何だってんだ馬鹿野郎。


ふと高校2年生の頃。タバコが見つかり停学になった恥ずかしい過去を思い出した。当時の担任だった世界史教師との面談で繰り広げられた、とんでもないキャッチボールを今でも覚えている。

世界史「かつての野球部は、みんなアタマを坊主にしてただろう。それは何でかわかるか?」

私「わかりません。」

世界史「それはな、髪型とかどうでもいいからだ。」

私「?」

世界史「野球に打ち込んでいたから、そんな所に意識を向ける必要が無かったんだ。だからお前も余計なことに目を向けないよう、取り組める何かを探せ」

私「意識を向ける必要がないなら、ボウズにする必要も無いじゃないですか。」

世界史「だから何だってんだ馬鹿野郎!」

ーーーーーーーーーーーーーーーー

結局、笠松競馬は一つしか当たらなかった。オッズを参考に、玄人気取りで作り上げた3連単のフォーメーションは、抜け目、縦目、見当はずれのオンパレードで、頭に昇った血が最終的に私にさせたのは、素人でもやらない地方競馬での3連単120点買い。それでも当たらないから、オッズはすごい。終わってみれば、ほぼ人気馬で決まるいつもの笠松である。そういえばそうだ、安いから買わないところがそのまま来る、それが私の持っている、唯一の笠松の記憶だったのだった。3連単120点の勝負レースをはずすと、私はおもむろにバリカンを探し、そのまま頭を坊主にした。22年ぶり2回目のことである。世界史の教師の言葉を思い出し、意識を競馬に向けないよう、そうすることが正しいことだと信じたからだ。若い頃にした坊主頭は、それはそれはイケていた。坊主にしただけで5人のナオンから交際を申し込まれたくらいだ(無論すべて断った、私を拘束しないでくれ)。ところがどうだ、信じられないことに、今の私の頭には米粒サイズからYシャツボタンサイズまで、多岐に渡る大きさの小さなハゲが後頭部から前頭葉にかけて、まるで月面のクレーターのように点在しているではないか。こんな事実、坊主にして初めて知った。できれば知らずに死にたかった。坊主頭そのものが意識の大部分を奪い取ってしまう類の人間が、この世の中に一定数いることを知らずして、彼がなぜ世界史の教師になり得たのか。私には皆目見当がつかない。本当に苦悩に満ちたとき、心が希求するのは慰めや、励ましではない。無論現ナマを添えられれば話は変わるが、そこまで奇特な方もいない。苦悩を飲み込むのは更に大きな苦悩である。クレーター付き坊主頭で、明日から仕事に行かなければならない苦悩を超える苦悩は、今のは私には思いつかない。うなだれる私に、嫁が声をかける。

「ベッカムみたいよ」

だから何だってんだ馬鹿野郎。

画像1

※ベッカムみたいな私(自撮り)










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?