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Spetsnaz サロン 第27夜

第27夜 セガサターンメモリアル 〜デップと藤崎詩織のナイトメア〜

相変わらず麻雀が盛んである。
理論派と根性派、データ派と感覚派、勢い派と感情派、そして確率派が絶妙なバランスで混じりあい、皿リーグ個室2511で日々バトルを繰り広げている。麻雀はゲーム性がシンプルに見えて実に複雑であり、理詰めで説明できるようでオカルトが介入できる余地も許している。故に様々なスタイルのプレイヤーがいるのだが、それもまた麻雀のゲーム性の一部となっている点が、麻雀の面白い所だ。皆、それぞれの理屈で牌を揃え、切っていく。競馬の予想同様に、成就するかしないかという結果があるが、そこを目指す過程については正解不正解を誰かが断じることは難しいように思う。年代も育ってきた環境も違う人達だが、ふと彼らの麻雀のバックグラウンドは何かと考える。如何にして麻雀を覚え、如何にしてその麻雀を磨いてきたのか。

スマホで数多ある無料アプリ、あふれかえるネット麻雀、今やいつでもどこでも誰でも気軽にできる麻雀も、昭和時代は当然実際の卓と牌が無ければできなかった。麻雀は非常に面白いが、かさばる麻雀卓を買ってまでやる人は少数だろうし、それが昭和ならなおのことであろう。しかし、はっきり言って麻雀人口は年代が上がれば上がるほど多い。ビジネスで知り合う御爺連中は漏れなく麻雀をするし、皆麻雀が好きだ。両手首をクイッと外側へ捻る、雀民独特の牌を倒す仕草をしながら「今度、どうです?」と汚い笑顔を見せれば、もう商談も纏まったようなもの。御爺年代の人々は過酷な麻雀教育環境の中、どのようにして麻雀を習得できたのだろうか。あまり大きな声では言えないが、麻雀の金銭に関わるグレー(真っ黒)な部分が、人々に劣悪な状況を跳ねのけてまで麻雀を習得させたという説はかなり有力である。それは阿佐田哲也氏著「麻雀放浪記」を読めばわかるように、麻雀が歴史上そういった金銭授受を前提とした勝負を根底にしていることは明らかであるからだ。ただ、賭博麻雀が明確に禁止された時代の我々世代に限って言えば、麻雀の習得のinspireはほぼ一つに限定される。あえて断定的に言わせていただく。それは「ツレの親父」だ。

ものすごく偏見に満ちた意見をするが、生活圏の民度によって「ツレの親父」のスペックは変わる。どこがどうだとまでは言わないが、「ツレの親父」は生息地によってその特性を変えるのである。まるでポケモンのようだ。しかし、どの地域、どの生活レベルの場所でも必ず「口ひげ+色付きメガネ」のステータスを備えた「ツレの親父」が存在し、その数少ない「口ひげ+色付きメガネ」属性の「ツレの親父」が、我々世代に麻雀を広めたザビエルに他ならないのである。私と同世代の知り合いは皆、この属性のツレの親父によって麻雀を仕込まれている。

少しわかりづらいかもしれないので簡単に言うと、「ツレの親父」は、友達のところに遊びに行ったら、平日の昼間なのに家に居て、何故か我々小中学生の遊びに積極的かつ能動的に参加してくる友達のお父さんのことである。そして、そういったお父さんは漏れなく、口ひげに色付きメガネを備えている。サングラスなんて洒落たものではない。色付きメガネだ。オプションで咥えタバコ。何を生業としているかは、平日の昼間のTwitter民よりもわからない。

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※加藤家の親父であり私の麻雀の師(写真はジョニー・デップ)

私が麻雀に手を染めたのは、中学2年生の夏。転校してきたばかりの加藤君の家にときめきメモリアル(セガサターン)があると聞きつけ、ゲームボーイ版北斗の拳で絶対に倒せないウイグルに行き詰まり、辟易としていた私が横井君と一緒に目の色を変えて遊びに行った加藤家で待っていたのは、藤崎詩織ではなく先述の色メガネに口ひげの親父。ときめきメモリアルをやりに来たはずが、我々は親父の鶴の一声で、何故か雀卓を囲んでいたのである。

「おう、オマエラ揃ったか。」

親父は旧知の友のように言う。無論、初対面である。続いて親父は麻雀牌の入ったケースを広げながら、何か呪文のような事を早口でまくし立てた。そして何の前触れもなく、何の脈絡もなく、そして何の説明もなく、麻雀大会は開催された。麻雀のルールなど何も知らない私は、加藤君と横井君に目で訴えたが、どうやら彼ら二人は既にこの儀式を経験済のようで、生気を失った目で、賽の河原で石を積む子供のように、淡々と牌を積んでいる。狼狽する私に気付いた親父が、「なんや、おまえ知らんのか」と吐き捨て、「俺の隣にこい、教えたるから」と、マンツーマンでの教授を打診してくる。私は藤崎詩織に会いに来たのだ。なぜ、見るからに不審な親父の隣でやりたくもない麻雀の教育を受けなければならないのだ。喉まで出かかった「弁護士を呼んでください!」の言葉は、非力な私の心に邪魔され、歯の裏で溶けた。「男なら麻雀くらいできねえとな」と笑う親父を前に、私にはもう断る術がなかった。

帰宅の際に横井君に聞いた話では、加藤家の親父が家に居る時に遊びに行くと、問答無用で麻雀大会が開催されるとのことだった。だから、いくら我々がときメモに心躍らせていようが、親父が家に居たら全ての予定をキャンセルして麻雀をやらなければならないのだそうだ。親父の在不在はご子息である加藤君でもわからないらしい。我々はときめきメモリアルという餌にありつくために、まず親父がいるかいないかというギャンブルに身を投じなければならないということである。加藤家には祖母が居て、加藤君は祖母のことを終始「クソババア」と呼んでいた。自身のおばあちゃんを「クソババア」と呼ぶ文化を私はその時初めて経験した。大会開始前に親父が唱えていた呪文と思われたそれは、麻雀のローカルルールで、「テンイチ・クイタンナシ・アカナシ」。それはその場のレートが1,000点10円であること、鳴いてのタンヤオを無しとすること、アカ5牌は入れないことを意味する。親父はあろうことか、初心者の中学生相手に最低レートとは言え「テンイチ」を宣言していたのである。若葉マークの私はその日勝負に参加することはなかったが、金を失う可能性を秘めた麻雀を迫られていたことを知らされて、言葉を失った。そういった諸々を含めて、加藤家ははっきり言って地獄だった。この地獄と天秤にかけられるほど、ときめきメモリアル(藤崎詩織)に価値はないとその時点で私は断言できたが、横井君は「俺だって悔しいんだ」と言う。おうおう、横井や、である。横井君は全てを知りつつ今日もノコノコと加藤家にやって来たわけで、横井君の言う悔しいの意味が私にはよくわからなかった。加藤君と距離を置けばいい。それだけだ。そして藤崎詩織のことは忘れるんだ。世界の半分は女だ。加藤家にはもう二度と行かない。それで万事が解決するはずだったのだが、舌も乾かぬ翌日には、私はあの悪夢のような加藤家で、今度は対戦相手として親父と麻雀卓を囲むことになるのを、その時の私は知る由もなかった。

〈続〉


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