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Spetsnaz サロン 第31夜

第31夜 苦しいから逃げるのではなく、逃げるから苦しくなるのだ

常夏のタイにも、ささやかながら季節がある。
12月はタイで最も気温が下がる時期だ。体感的には夕方にとてつもなく死にたくなる、あの日本の晩秋に近い。沈む夕日と、徐々に強まる冷気。とは言え25度くらいはあるので、長袖を着る気にはなれない。タイ人はこの時期、すぐに風邪をひく。日本人でも毎年風邪をひく人がいるが、私は風邪というものにここ数十年かかったことがないので、毎年毎年欠かすことなく風邪をひく人の気持ちがわからない。それどころか見下している。本当に申し訳ない。コロナのせいでおいそれと発熱したなどと言えなくなった今年でもその傾向は変わらず、毎日誰かが「マイサバイ」で欠勤する12月。私の禁オナニはついに3週間という未曽有の記録に達した。「マイサバイ」とは気分がいい、気持ちがいいという意味の「サバイ」に、否定句である「マイ」をつけた「体調不良」という意味のタイ語だが、3週間気持ちよくなっていない私も同じく「マイサバイ」である。甘えてんじゃないよ。

女性の方は3週間の無射精に対して、その記録の偉大さはお分かりになりにくいと思う。男性の方は「どうせセックスはしてんだろ」と3週間の無射精に対して、どこか懐疑的な思いを抱くと思う。はっきりと言おう。私は断じてこの3週間、セックスは当然、隠れオナニもしていない。周知の通り、それでも精液は日々絶え間なく生産されており、一般的に成人男性の精巣は3.4日分の精液しかストックできないという。それは逆説的に成人男性は少なくとも3から4日に一度精液を放出しなければ、暴発に至るということだ。どうだ、驚いただろう。そこらで偉そうな顔をしているおっさん達はもれなく、3日に一度はオナニをしているのである。悲しいことに多くのおっさんは既婚未婚問わず基本セックスができない(偏見ではない)。こんな悲しい生き物があなたのすぐ隣に、今日も当たり前にいるのだ。

射精をしないと性欲が風船のように膨らんでいくものだと、そう思っていた。これはかなり意外だったのだが、実際はその逆であった。私の場合、性に対する興味が日々確実に薄れていっている。これはものすごい発見だった。思考からエロの要素が失われるのは必ずしも良いことではないが、殊、禁オナニの継続という観点ではかなり有利である。ただその代償として、あらゆる面において非常にメンタルが不安定になる。この件については心理学的な検証が必要と思われるが、如何せん私には心理学の知見がゼロで対策が不可ときた。男性の男性たる所以である欲望を抑圧しながら、迷走著しい思考の中で「我、不幸なり」といったあらぬ被害妄想と、「我、ゴミカスなり」といった無為無益な行為への羞恥からくる自尊心の欠如で、私は自我を損ない、頭がイってしまっていた。とても悲しいことに私は頭がイってしまったのだ。

ここまで辛い思いをしてでも禁オナニをする理由はただ一つ。特大3連単を当ててiPhone12 Proを購入し、素晴らしいHD動画で素晴らしいオナニをすること。四十前にしてメンヘラとなった自身に対しこの上ない嫌悪感を抱きながらも、私は3連単を諦めようとはしなかった。鉄の意志である。元気、勇気、やる気である。私を突き動かすものは、単に素晴らしいオナニへの渇望だけではない。私の禁オナニはプライドの闘い。結果として特大3連単的中、iPhone12、素晴らしいオナニがあるだけなのだ(カッコE)。だがしかし、私の鉄の意志とは裏腹に、ここにきて想定外の大問題が発生した。待てど暮らせど特大3連単が当たらないのだ。


【事実その1】特大3連単が当たらない

3連単はご存知、馬券の中でも最も難易度が高い強者のみが買うことができる崇高な馬券である。生半可な気持ちで手を出したらいけない。故に当たらないこと自体は特段不思議なことはない。マルチで買えば多少的中率を上げることはできるかもしれないが、マルチはだめだ。理由は簡単で、点数が増えるから。かつて私が馬券初心者であった頃は、3連単マルチ以外の買い方をするやつはバカだと信じていた時期があった。馬連ごときで10倍取ってどうするんだと。万こなきゃ的中じゃねえだろうと。3連単を全部当てれば勝てるんだろうがよと、毎レース3連単1頭軸マルチで8頭とか9頭だかに流して買っていたので、そりゃ適度に当たるは当たるのだが、回収が追い付かない。当たるといっても丁度よい配当(100倍から400倍)でしか当たらないので、はっきり言ってジリ貧だ。本当の特大馬券は人気馬総飛びなどの事態が起きないと発生しないのに、軸にはいつも一桁前半台のオッズの馬を据えて日本発狂。競馬を呪い、日本を呪い、世界を呪いながら目くるめく口座残高激減を経て、私が「マルチはあかん」と本格的に気づいたのは一財産失ってからであった。その頃はまだ、偶に大層大きな配当に遭遇できたが、馬券というものを知れば知るほどにマルチ買いに対して恐怖しかなくなってしまい、以降は「マルチはあかん」というスローガンの下、3連単は買うにしても、頭ガチからのささやかなフォーメーションでしか手を出さない時代が続いた。そんな私だからこそ、特大3連単がおいそれと当たることがないのはわかっているつもりだ。故に禁オナニをしてるわけだ。だがしかし、一向に特大はおろか「やっす死ね」レベルですら3連単は当たらない。特大を当てると言いながら少頭立てレースの1倍台からのフォメを組んでるあたり救いようがないのだが、それでも当たらないから日本発狂である。こんなはずはない。こんなに辛い思いをしているのに、ファック畜生がよ!神はいないのかと海に向かって叫んだが、神の施しは金が尽きるまで、終ぞ得ることはなかった。大体、なんで禁オナニしたら3連単が当たるのか。私はいつから禁オナニが特大3連単を呼び込むと思い込んでいたのか。そんなことは過去現在未来で誰も言っていない。私は一度、原点に立ち戻る必要があった。


【事実その2】禁オナニ=3連単的中率UPではない

日本には古くから、「願掛」という祈願方法がある。多くは食物を断つことで、病気の平癒、商売繁盛、縁結び、厄払いなど個人的な祈りから、村の豊作のような集落の祈りに至るまであらゆる祈りを、自らの苦行を引き換えとして実現を願うものである。自動販売機にお金を入れたらコーラが買えるというのとは違い、その祈りは保証されたものではなく、どちらかと言うと願掛は、自身に苦行を課することで神や仏にその願いに対する真摯な姿勢を伝え、その恩寵を期待するとともに、自らもその逆境を打破して願いの実現に向けた精神的な決意を得ようとするものである。あまつさえここは自販機のコーラのボタンを押しても甘ったるいコーヒーが出てくる狂った国タイだ。オナニを禁じたからといって、何がどうなって、一体全体どういう方程式で3連単が当たるのか。ファック畜生がよ!そう叫ぶとなく叫んだ私は、帰国用のキャリーバッグに隠してある、昨年出張者に日本土産として頂いた6個入りのTENNGA EGGに手を伸ばした。通常4日で暴発する精子ストックはその日で21日目を迎えていた。

《続》

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