密輸おばちゃんと体育会系おばちゃん

少し前、チェーンの某レストランで短期のバイトをしたことがあった。朝から晩までひたすら洗い物をしていた。僕みたいな学生バイトなんてのは珍しく、社員は全体の1割ほどであとはみんなパートのおばちゃんだった。チェーンなんてどこもパートに支えられて成り立っているのだろう。

「パートの」の後に続くものといえば100人中100人が「おばちゃん」と答えるほど、ある種ネタになっているというか、なんかそういうものというか、ちょっとおもしろワードとして認識しているところがあったし、まあ正直ナメていた。ゆっても僕の方が洗い物だって早いだろうしテキパキ動けるに違いないと。

でもおばちゃんの「洗い」はプロそのものだった。洗い以外も全ての動きが流動的で効率的でエネルギッシュで、付け入る隙など与えてはもらえなかった。こうなっては必死に補助に回るしかないと一生懸命に働いた。

こう言葉で書くとおばちゃんナメるなんてとんでもないやつだなと思われるかもしれないが、もう25年生きてるわけで謙虚さというものはそれなりに身につけてきたつもりだった。今回の件だって、もちろん初めからナメているという自覚があったわけではない。おばちゃんの俊敏な動きに驚いた時に初めてナメていたんだと気付いたのである。

これはものすごい衝撃的なことである。テスト終わったと思って寝てたら実は裏もあったみたいな、そんな気分だ。謙虚認定チェックリストにも、あらかた埋まったなと余裕こいてると実は裏面があったのだ。

少なくとも今はもうナメてなんていない。道いっぱいに広がって歩く3人組のおばちゃんにももうイライラしないし、隣全然通り抜けるスペースあるのにわざわざチャリ降りて危ない危ないって呟きながらすれ違ってくるおばちゃんにももう腹立てない。みんなそれぞれの場所ではプロフェッショナルなのだ。

それでもいつか、おばちゃんがリフティングめっちゃうまかったり、タイピングめっちゃ早かったりと予想外の動きを見せると、また驚き、その時になって自分の傲慢さに気付き、またひとつ謙虚になれるのだろう。

ここは1週間だけの短期だったが、終わる頃にはおばちゃんともすっかり仲良くなった。途中暇になると周りに見えないようにこっそり塩キャラメルを僕の右手に忍ばせてくる密輸おばちゃんや、あんた最初きた時とは顔つきが変わったねえ!と暑苦しい体育会系おばちゃん。きっともう会うことはないと思うけどなんとなく一生覚えてる気がする。

おばちゃんといえばやっぱ中川家やんな。温泉旅館のネタめっちゃ面白かったな。メシ全然食わんとずっとしゃべってるやつ。おばちゃんへの意識が変わったとこでいろいろ観てみようかしら!

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