恩師が亡くなった

大学時代の恩師、M先生が亡くなった。備忘。

M先生は大学2年時に私の学部で働き始めた准教授の先生だった。私の専攻は3年時に各教授・准教授のゼミに配属されることになり、私はM先生のゼミには行かなかった。

だから直属の恩師というよりは、悪友という感じの距離感だった。田舎から出たことがなかった私に東京での生活を教えてくれたり、逆に私が就活中に出会った女の子を口説いた話をすると大層喜んでくれた。洒落た色の日産ムラーノに乗っていて、時々自宅に招いてもらったり、僕の車で飯に行ったりしていた。研究分野は消費社会学だったが、自分が突然ハイブランドの数十万円のブーツとかを買ってきたりする人だったので、消費社会学者が消費しまくってどうするんだ、とよく笑っていた。

大学4年時、私は今でもトラウマとして残っているくらい、卒論が進まなかった。そんな中でも程よい距離感で見守ってくれていた。結局実験も論文も全くうまく行かず、卒業旅行も行けず、卒業式にも出られず、新卒で働き始める前日まで卒論をやっていたほどの体たらくだった。

M先生は卒業式の代わりに、3月に大学キャンパス近くの美味しいトンカツ屋に連れて行ってくれた。そこで最後の説教をされたのを覚えている。「大言壮語は構わない。でも、言った分だけ努力もすること、それが自分の言葉に対する責任だ」。多分、先生と会うのはこの日が最後なんだと思い、悲しかったがきちんと説教を受け止めた。最後に良い芋焼酎を渡してお別れをした。

それから10年間の社会人人生を過ごしたが、その日の説教はずっと胸の中に置いてあった。口先だけは上手い自分が、中身の伴わない大人になって失敗に陥らないように、その説教をしてくれたんだと気付いた。いつか背筋を伸ばして会えるようになったら、また会いたいと思っていた。だが会えなくなってしまった。

できれば、当時思っていたよりも立派に頑張っているところを報告したかった。お互いに良いパートナーができたら開けようと話していた焼酎「百年の孤独」も開けれずじまいだった。プジョーの洒落たRCZに乗っていた当時の彼女とはまだ続いていたんだろうか。近親者で葬儀は終わったとのことだったが、できれば一言お別れだけ言いたかった。

「できれば」が沢山あり、いつか会えるだろうという相手と会えなくなる寂しさを味わった。これから会える人にはきちんと会い、感謝を伝えることにする。どうか先生も安らかに過ごしてください。あちらでお会いした際には百年の孤独を開けて水割りにして飲みましょう。本当にお世話になりました。

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