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松野さんの話

社会人人生で初めての上司の話。


2017年11月20日(月)

大阪転勤が決まった。東京のオフィスを離れるうえでいちばん悲しいのは、上司の松野さんに会えなくなることだ。

松野さんは特段スマートな出で立ちではないし、ぼくと同じくらいのお子さんのいらっしゃる、一見普通なおじさんである。

松野さんは寂しい東京生活で、父親のいないぼくに父性を感じさせてくれて、ビジネスマナーやファッションの選び方、上司の懐柔の仕方、結婚に向けた考え方、靴の選び方から似合うシャツまでたくさんの大切なことを教えてくれた。

二年目後半を過ぎた頃から業務に直接介入されることは無くなったが、ぼくの好きな話題でいつも優しく声をかけてくれていたし、一度自分の抱えたプロジェクトでSOSを投げたときは全力でアシストをしてくれた。

安定性重視の方針を好む松野さんに対して、新規性を大事にした人たち悪口が聞こえることもあったが、いざというときに部下を守ることのできる有言実行力のある上司に、文句などあるものか。

もうすぐ定年間近の松野さんは、業務上はどこまでも理論派なビジネスマンだった。論の立たないことにたいして承認が下りることはないし、筋の立たないことは認めない。かといって愛想がないかといえばまったく真逆で、愛嬌と態度の柔らかさで多くの人を味方につけてしまう人だった。

送別会で、ぼくは松野さんに「人生で初めての上司が松野さんでよかった」と伝えた。

「比べてみなきゃわかんねーじゃん(笑)」と、松野さんは一言。

いやその通りなんだが、ぼくは確信していた。「色んなひとから上長の悪口を聞いてきたが、ぼくは上司の悪口を言ったことは一度もありません!」

「上手くなったねえ(笑)」と、少しニヤリとしてくれた。

こちらはここまでお慕い申し上げているのに、二次会に行こうとも「はいはいおつかれさん」とあしらって足早に帰ってしまうあたり、まったくいけずな人である。でも、ぼくの大阪異動に最後まで反対していたのが松野さんその人であったことも、ぼくはこっそり知っている。

関西での修行を終えて再び東京に戻ったとき、松野さんは上司としてまた優しく声をかけてくれるのだろうか。それとも、過去の人間としてあしらわれてしまうのだろうか。

そうだとしたらとても寂しいが、ぼくの目標は「理論立ててきちんと話せるけど、その奥の気持ちの熱さや暖かさを感じてもらえる」そんなビジネスパーソンになることである。そうして大事な人たちに愛され、悪人の甘言に弄されることなく、妻や子供や部下を裏切ることなく、支え続けることができる強い人間に成長することが最終目標あり、それは松野さんの人柄にとてもよく似ている。

プロジェクトのトラブルで万事が休したそのとき、人間関係の軋轢で精神的に疲弊したそのとき、電話に出た松野さんの優しい「おう、どうした?(笑)」の一声を聞いただけで涙しそうになったことが何度も、何度も何度もあった。

引っ越しを終え、ぼくは異動先で新しい上司と肩を組んで、まったく新しいビジネスを始めている。それでもぼくはまだ松野さんに惚れているし、これからも松野さんの優しさの一部が、ぼくの人柄に同化して生き続けるだろう。

組織感の派閥争いに巻き込まれ、とある人に「お前はだれの味方に付くんだ?どうするのが自分にとって得になるかをよく考えろ」と脅迫されたことがあった。幼かったな、悔しいな、いまなら大きな声で「私は松野の部下であり兵士です」と言い返すことができる。

まあこう書くとまことに勝手な話なんだけど、ぼくは人生で初めての上司が、松野さんで良かったと思っている。どうかいつまでもお元気で、有難うございました。

2023年11月16日(木)

上の文章は、昔の日記からの転記。あれからちょうど6年が経った。松野さんとはたまに電話をしており、2020年に外資系メーカーに転職したときには一番最初に松野さんに報告をした。

「自分の野望の実現のために、よりハードな環境にチャレンジします」と伝えたところ、一切の反対なく「いいんじゃないの〜?若いうちに沢山経験して外の世界を知ってこいよ。お前、欲に流されやすいから女には注意な。立派なビジネスマンになったらまた会おう」と言われた。

2023年冬、いよいよ松野さんが役職定年を迎えるために飲み会を企画した。場所は東京の神保町、むかし松野さんとたまに行っていた三幸園チャイナカフェ&ダイニング。点心がとても美味しく、店内の雰囲気も良い、数ある僕のお気に入りの東京の店の一つだ。秋口の皇居沿いは少し肌寒く、トレンチコートが少し心細く感じる気温だった。

久々にお会いした松野さんはツーブロックにチャンピオンのスウェット、アディダスの真っ白なスタンスミスと相変わらず洒落たアウトフィットだった。最近の仕事は?外資での生活は?嫁とは、家族とは?恐らく僕が父親に聞けず自分で学んできた男の話、人生の話を答え合わせしてくれた。

何度かお代わりして紹興酒を注ぎ合い、飲み合った。業界の話や将来の話など語り合った。昔よりもビジネスマンとして対等に話せたと嬉しくなったが、きっとそれも松野さんの計らいだろう。僕は多分この人にはずっと敵わない。

三幸園を出たあと解散し、一人で神保町の小さな喫茶店に入った。紹興酒を呷りながら「いつか松野さんのように立派なピープルマネージャーに、立派なビジネスマンになります」と宣言した手前、僕も仕事に手抜きはできない。夜22時を超えていたが、少し背筋を伸ばして、再び仕事に戻った。

2024年6月12日(水)

友達と電話をしている時、ふとコンプレックスの話になった。僕のコンプレックスは「男らしさ」が足りないことである。

不幸自慢とも取られるのであまり言わないが、幼い頃より父親が近くにいなかったことから、男のロールモデルがなく、かなり手探りで「男」をシミュレーションしながらこの歳まで過ごしている。男のソース源はドラマや小説、周りの男達の立ち振舞いである。特に苦手なのはオールド・ボーイズ・ネットワークやホモソーシャル、マッチョイズムで、少し女性性を馬鹿にしながら男の内輪で盛り上がることはいまでも大の苦手である。正直かなり演技している。

男らしく立ち振舞いができているか昔はとても不安であり、付き合った相手からも「女々しい時は本当に女々しいのに、男らしい時はややそれが強すぎて怖さを感じる」と言われていた。男らしさが足りないのも、僕がいまいちモテ切れていない理由の一つだと思う。

僕は恐らく友達や後輩など好きな相手に対しては面倒見が良いタイプだと思うが、父性的というより母的である。女性を守り、大事にして、相手のためにいろいろとしてあげるなど「与える」立場を好むものの、どことなく「だから言うことを聞きなさい」という動機があり、少なからず相手の気持ちを圧迫しているはずである。これはモラハラ感にも通ずる所であり、この動画からも学ぶところが多かった。

松野さんのような、父性を感じさせてくれる相手に信頼をおいてしまうのは、僕の心の穴の一つである。それが欠点になるときもあれば、人としての滋味になるときもあるだろう。母的な性格も僕の欠陥であり良さでもあるのだろう。

その時に友だちと交わした会話で印象的だったものがある。

「りんごはよく物事を考えるし、紳士的な魅力もあると思うが、男らしさとは少し違うと思う。男らしさって、考えすぎないことも一つ。色々悩んでるのはわかるけどまあ大丈夫だよ、と言ってあげられることも男らしさだよ」。

その話を聞きながら僕は松野さんの顔が浮かんでいた。別にロールモデルがあっても無くても良い。もう良い歳なのだから、僕は僕なりの男らしさ、それ以前の人らしさを育んでいきたい。

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