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大河ドラマ「いだてん」一話感想

 タイガータイガーアリガタイガー。と、脚本宮藤官九郎の過去の作品「タイガー&ドラゴン」の締め言葉を言ってしまう出来。

 宮藤官九郎作2019年「いだてん〜東京オリムピック噺〜」個人的に、この「ム」ださい。
 クドカンは入れ子構造、複層構造を得意とする作家です。今回も明治と昭和を同時にいったりきたりしている。これ、脚本ではかなりアウトとされる方法論です。ところが、彼は筆力があるので、やってのけるんですね。(それ以上に、去年までの「西郷どん」に慣れた人はついていけるのか、というスピード感)

 1964年のオリンピック招致を行った田畑政治(阿部サダヲ)、1912年ストックホルムオリンピックにマラソン選手として参加した金栗四三(中村勘九郎)の二人をW主演に迎えた意欲作。

 第一回では主に、嘉納治五郎(役所広司)がオリンピックにマラソンで参加しようと「いだてん」を探し、羽田に競技場を開き、マラソン大会を開くところを描きます。
ところがこの嘉納治五郎に、NOを突きつける人間の多いこと。いや、それがいいんですけど。
 いろいろ省略しますが

・オリンピックについての悲劇をついて説くもの
・明治時代における「体育」の取り扱い(修身)(子供が銃を持って訓練している)
・オリンピック参加者に学歴の壁あり
・天狗倶楽部などに表される「身体と家のステータス」が恵まれているものの存在(個人的にはすぐ脱ぐところは、「ゴールデンカムイ」は意識したでしょう!? と言いたい)
・そもそもオリンピックってなんなの?
・明治時代は西洋文化に触れることが多かったのに、戦争で一掃されてしまったこと
・いきなりマラソンを走らせての落伍者の多さ(日本人の体力のなさ)

 などをすべて、「役者」を動かすことで書いている。うまい。(比較してはいけないのかもしれませんが、2018年の大河ドラマは「言葉」で処理する部分が多く、途中で脱落しました)

 いだてんは現れないのか! と思われた時に最後の最後で現れた主人公を登場させる場面も笑いと悲惨さを練りこんでいて、あまりに劇的で驚きました。
 え? この調子で一年間、やるの? やれるの?

 そもそもオリンピック。好きですか? 私は好きではありません。高校野球も駅伝もコロッセオのなれの果てです。それは若い青年たちがいたぶられて、泡を吹いたり、血を流したりしているのを、「感動」と片付けて喜ぶ視線があるからです。血で血を洗う剣闘士に熱狂するだけ、「感動」という糖衣錠でくるんでない分、古代ローマ人のほうがましだ。

 嘉納治五郎はたびたび「参加することに意義がある!」と言います。なんでしょうね、オリンピック経済効果だの、レガシーだの言いつのっている醜い現代の政治家、経済界の面々の顔が脳裏に浮かびます。オリンピック。古代ギリシアから遠くなりましたねえ。古代ギリシアのオリンピック、全裸だったってことくらいしか、よくしりませんけど。今のオリンピックは巨大過ぎて、ぞっとする宗教組織のようです。

 今後、金栗の時代と田畑の時代を隔てる戦争も描かざるをえないでしょう。そして、大河ドラマには政権の影響も反映されると言います。(確実に2020年の東京オリンピックへの道筋をつけようとしていますよね)
 それに対して、被災地である宮城県出身の宮藤官九郎がどう、物語の力でカウンターを見せるのか。政権におもねるのなら、彼のある意味、尖っている部分の作家生命は終わるでしょう。

 と、いちゃもんをつけながら、それでもとても良い意味で狂った演出のOP、馬鹿がいっぱいの天狗倶楽部、くるくると時代が変遷していくことの愉快さ、クドカンの言葉のセンスの良さ。時間はあっと言う間に過ぎました。
次回も期待です。


 グループ魂、ELLEGARDENと(故)みどりの対バンいきまして、宮藤官九郎がネグリジェ着て、ユニクロのスリッパでギター弾いていたのがとても印象的でした。(これ、紅白で歌ったんだぜ……DVの歌じゃねえかよ)


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