大学生活

私事ですが、ようやく卒業論文が終わりました。せっかくの機会なので学生生活でも振り返ってみようと思います。

僕は山口県のとある田舎町の高校生で、東京海洋大学を目指していました。

当時、都会に憧れてた僕には、東京の一等地にあって最高峰の海の知識を学べる大学はとても魅力的でした。こんなにいい大学は無いと思ってたぐらいです。

それで、なんとか受験を勝ち抜いて上京することができました。

田舎者の僕はSuicaに感動したし、たくさん人がいるだけで興奮しました。

でも大学は思ってた場所とは少し違ってて、ほとんどの人は『研究のため』というよりは『就職のため』に通ってるみたいでした。もちろん、研究熱心な人も一定数いるけど。基本的には適当に授業に出て、アルバイトして、遊んでみたいな。

で、そんな大学生の現実を知って

「めちゃくちゃチャンスじゃん!」

って思ったんです。

「みんなが遊んでる4年間を全て捧げればとんでもないことになるな」

って。そういう訳で僕は華の大学生活捨てることにしました。で、一年生の間にいろいろ勉強して、大学2年生のときに

「とりあえず手始めにYouTubeで登録者1万人目指すか」

みたいなノリでYouTubeを始めました。実は最初、4人でYouTubeやってたんです、今はもう存在しないチャンネルなんですが笑。正直、僕はかなりの自信家なので余裕だと思ってました。

でも、現実は甘くありませんでした。

一番最初に出した動画は数十再生。友達が面白がって見ただけで何の話題性もありませんでした。でも、『継続が大事だから』とか『絶対に成功させるから』とか仲間に言い続けて半年ほど続けてみました。結果は登録者は150人。4人で始めたYouTubeも気付けば編集者以外いなくなっていました。

編集者と僕の2人だけになったので、今のスタイル「マサルチャンネル」を立ち上げました。

これまた上手くいかず『魚捌き下手』だの『喋りが下手』だの酷いコメントしか来ませんでした。

でも悔しかったので、狂ったように毎日何時間も喋る練習をしたし、魚屋のアルバイトも始めました。

気が付けばまた3ヶ月ほど経っていました。

結果は登録者は100人、貯金も底をつきました。

でも諦められなくて。

僕は親に30万円借金してパソコンを買って、3年生になるタイミングで休学することにしました。親には「絶対成功させるから1年間だけ時間をくれ。無理だったらいう通りにするから。」と半ば強引に話をしました。

休学中はいろんな離島に撮影に行きました。『お金』も『人脈』も何もないのでSNSで島の人にコンタクトを取って、家に泊めてもらったり車を借りたりして何とか撮影をしていました。

それでも、一度撮影に行くたびに5〜10万円ぐらい借金が膨らんでいきました。どれだけアルバイトをしてもお金が足りません。

「今回の遠征で絶対に成功させよう」

毎回その思いで行っていました。

でも、現実は厳しいものです。

半年ほど頑張ってみました。結果はようやく登録者1000人届くかどうか。借金は増えていく一方。クレジットカードの支払いができなくなって、消費者金融にお金を借りて、限度額まで行ったらまた別の消費者金融からお金を借りていました。

当時は、『電気水道ガス』が止まることなんてザラ。バイト先の賄いを持ち帰ったり『小麦粉』と『もやし』を混ぜて焼いて食べたりしてました。水道代が勿体ないからトイレは公衆トイレに行ったりもしてました。

努力しても努力しても借金が増えていくばかり。相当な自信家だった僕も1年半経つ頃には、自信なんてものは粉々に砕かれて

「どんなに努力しても天才には敵わないんじゃないか」

って考えがよぎるようになりました。みんなの前では「俺はそのうちトミックもきまぐれクックも抜かすんだ」と気丈に振る舞ってましたが、正直辛くてたまりませんでした。

※あまりにも別世界にいる人だったのであえて''さん''を付けてません。

結局、10月に大学に戻りました。

「絶対に成功させる」

と息巻いて休学したやつが借金を背負って帰ってきました。こんな滑稽なこともなかなかないでしょう。ちなみに、ちょうど復学のタイミングで、ずっとついて来てくれてた編集者も去ってしまいました。一円にもならないのに僕を信じて付いてきてくれてた彼に、もっと高い場所を見せることができなくて今でも悔しいです。

それでも僕は諦めきれず、大学に通いながらYouTubeを続けました。

『撮影』、『編集』、『大学』、『バイト』と死にそうになりながら続けました。

でも結果は全く出なくて。いつも間にかYouTubeを始めて2年が経ちました。

その頃には半分鬱みたいになってました。

「こんなに頑張っても報われないなら死んだ方がいい」

そう考えるようになりました。踏切前や高いところに行くと、「あと1歩踏み出せば楽になれるな」と自然に考えていました。脳にも少しずつ異常が出てきて、思考が上手くできなくなっていました。経験したことがある人にしか分からないと思うけど、考えようとしても何も考えられないんです。思考が止まるというか。

正直、精神の限界が来ていました。

そんな中、ダメ元でくーねるさんにコラボ依頼をしてみました。当時の僕の登録者は6000人、くーねるさんは10万人。およそ無理な依頼でしたが、まさかのオッケーをいただけました。

くーねるさんとの出会いでYouTube人生は大きく変わりました。彼は、僕の独学では全く見えていなかった世界を見せてくれました。『なるほど。努力とはそうやってするものだったのか』と彼の生き方は僕にとっては新鮮で刺激的でした。

それから徐々に『動画が面白い』というコメントをもらえるようになり、ある程度結果も出てきました。5月には登録者が1万人を超え、8月にはKiiiから声がかかるほどに。

10月には親に会いに行きました。YouTubeに反対だった父親も「それだけ結果を出したなら好きにしていい」と了承してくれました。ちなみに今では僕のファンみたいになってます笑

そして、その年の11月には借金も返し終わりました。

さて、人生の分岐点です。その頃、ちょうど就活を始める時期でした。

僕が通ってる東京海洋大学は国立です。ちゃんと就活すれば、それなりの人生を歩むことはできるでしょう。YouTubeで稼ぎ続けられる保証はどこにもありません。

迷った末に僕は『就職』を捨てることにしました。

そして、個人で生きていく『覚悟』として離島に移住することを決めました。善は急げです。12月に早速移住しました。大学にはもちろん島から通っていました。多分、僕より通学に時間がかかる人はいないんじゃないかな笑

そういえば、翌2月に飲みの席でお話させていただいた『とあるYouTuber』の一言が今でも心に残ってるんですが、それが

「君、もっと頑張った方がいいと思うよ」

だったんですよね。別ジャンルの人なので僕のことをご存知なかったようですが。この一言が本当に悔しくて悔しくてそいつに殴りかかりたいぐらいでした。

でもそいつは天才でした。天才の説明をすると長くなるので省きますが、とにかく天才ではありました。

そいつは凄く嫌なやつでしたが、その一言が『凡庸な俺が天才と戦うにはどうしたらいいか』を熟考するいい機会になりました。

そんなこんなで、2020年は天才と戦うための土台を整えることに時間を注いできました。

長くなって来たので今年の話は天才の話だけで終わることにします笑

さて、大学生活がついに終了を迎えます。「大学生活全てを捧げたらどれだけ人生が変わるか試してみた!」の検証結果が見えてきました。

僕的にはまだまだ全然ダメで、悔しさを噛み締める毎日ではありますが、今では『マサルのおかげで楽しみが増えた』などたくさんの温かいコメントをいただけるようになりました。

知識も才能もお金も人脈もない僕でしたが、4年間本気で打ち込めばほんの少しだけ変われたみたいです。

2021年は、離島移住を支えてくれたたくさんの方からの恩が溜まってて、利子を付けて返さないといけないので忙しくなりそうです!


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