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第52話:馬・車・船・飛行機・インターネット(言語というミサイル、仮想空間における暴力、対人、戦争)

人類の祖先が走った瞬間、「はやさ」を感じた。

原始時代の人々は身体能力というよりも、むしろ頭脳で大型生物に挑んだ。

集団による戦闘力の行使は、時にマンモスをも打ち破った。

その頃の馬は専ら食糧の対象であった。

「認知革命」後も、動物が動物を追っかけていた。

(やがて人は定住か(帝国、文明)、遊牧かの道(野蛮、非文明)を辿ることになった。)

牧畜、農耕、(動物の)家畜化

人(ヒト科のホモ・サピエンス)による「動物の仕分け作業」が始まった。

その中で馬は「特殊生物」に位置づけられた。

人はさまざまな動物に跨ったが・・・

結果、「騎乗=馬に跨ること」が最も効率が良いという決断をした。

人が馬に跨った瞬間、2回目の「はやさ」(確信)を実感した。

「はやさ」は「時間」と言う概念(観念)を生み出し(もともとあったが、それが知覚化、言語化された)、歴史のスピードが変わった。

もし馬が居なかったら現代世界はまだ古代だった(本村 2001)。

人類の馬の活用(雇用)

初期においては食料、衣料、住居の材料、運搬・伝達手段などだった。

やがて、それは軍事力(生活力)となった。

戦車、騎兵、馬車などが誕生した。

馬は移動(領土の拡張、王国・帝国に関係)、軍事力(戦車、騎馬)、権力(首長、王、皇帝の権威)と結びついた。

もともと「競馬」(行事、催し)戦争における戦士を弔う葬走競技として出発したが、

すぐに社会的強者の財産、権力(の発露)とつながった。

こうして実権・管理力(武力所持)の観点から、馬の大量保有による武力行使と競馬の開催は皇帝の命令と重なった(可視化、利用された)。

一方、「はやさ」の進化は「身体の拡張」を意味し、

その進化の過程はおおよそ馬・車・船・飛行機・インターネットへと進化した。

人間の「脳力」(認知の展開)は身体の拡張を促した。

最強の馬と馬具を持つ王国が世界最強の力を保持する。

あらゆる馬具の誕生は騎乗の性能技術と弓(遠方)による攻撃、剣による(至近)攻撃、刀による暴力、

および戦争の技術・作戦を変えた。

戦車、騎馬、船による攻防の時代が長く続いた。

最近まで人類はそれ以外の技術を知らなかった。

馬・車・船・飛行機・インターネットへの進化における飛行機の誕生は、

第一次世界大戦以降に実力行使(戦闘)の手段として使われた。

最強の戦車、軍人を持つ国

最強の馬と馬具、騎馬民を持つ国

移動手段であった船から軍艦、潜水艦が生まれ、

やがて飛行機の時代に至った。

飛行機の前に砲弾(ミサイル)や鉄砲の時代があった。

ここまで(インターネット前)は目に見えた!

だんだん人は目に見える「人対人」の戦闘を遠ざける技術を発展させた。

殴り合い、刃物による戦い、砲弾による戦い

対人戦の終わり。

原子爆弾の誕生で決着がついた。

(これは飛行機とミサイルの文化の結合がもたらした。)

その後、ロケット・スペースシャトル(宇宙飛行、大陸弾道ミサイル)とコンピュータの時代がやってきた。

コンピュータは軍事力の行使・研究と深く関わりながら進化した。

現在のコンピュータやSNS時代ではゲームの中で戦いが広げられている。

ネット上では常に言葉(暴言、悪口、不満)というミサイル

誰が発射し、誰に向かって撃たれているのか(指定されていない場合)、訳も分からずに、よく知らずに、よく考えもせずに飛び交っている。

したがって、「炎上」という言葉の意味は深い。

ゲームは「仮想(理想、夢の)空間」でありながらリアルである。

「ウマ娘」で行われている競馬は日本社会と競馬文化を反映している。

「ウマ娘」で行われている天皇賞は日本人と天皇の距離を表している。

近代に入る前まで天皇と馬は政治や戦争の文化・象徴として

日本社会の生活空間においては見えない存在であった。

(江戸時代までは平和だったので、天皇は京都に籠り、馬は鑑賞用の馬が「名馬」であった。)

近現代において天皇と馬は同時に可視化され、同時に厳格化され、同時に緩やかなものになった。

馬や競馬を通じて・・・

ウマ娘をみると(現代)日本社会がみえてくる。

この回ではそんなことを言いたかった。

(2023.1.04)

※ 文章的に問題あり、編集中。

参考文献は後ほど付記。

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