第53話:馬は地球を一周する(地球は丸い競馬場)
いつの間にか馬が行けない場所はなくなった。
もともと馬が居なかった地域(日本列島やアメリカ大陸など)やサラブレッドが居なかった地域で、
現在は「競馬」が営まれている。
大陸の切れ目(障害)は船や飛行機によって繋がった。
競走馬は世界を一周できる時代となった。
地球は丸い競馬場と化したのである。
それは競馬、競馬ゲームどちらの側にも起こった。
現在における競馬先進国は自由主義的な民主主義国に多い。
競馬は「サラブレッドビジネス」とも絡んでいるので
自由貿易、国際娯楽としてとても受容があるのだ。
国際娯楽、聞き慣れない言葉であるが、
スポーツやアニメ、ゲーム、音楽、映画等は国際娯楽と言えるであろう。
これをレジャー、アミューズメント、趣味と言ったりもする。
では、競馬にビジネスやレジャーとしての側面がなかったとしたらどうか。
競走馬(サラブレッド)は必要なくなる。
馬は乗馬、馬術、動物園で飼われる生き物(最低限)となる。
動物としての価値は著しく下がる。
また、「名馬」=「はやい」という私たちの観念も消える。
「名馬」という概念、は私たちの観念によって絶えず変動してきた。
もし競馬がなかったら、「はやい」馬より「持久(耐久)力のある」馬や「観賞用」の馬がもてはやされるであろう。
極端なことを言えば・・・
馬肉がおいしかったら、鶏、豚、牛のような生き物に、
毛皮として相応しければ、羊のような生き物に、
愛玩動物として飼いやすければ、犬や猫のような生き物に、
なる。
前回も述べたように馬を特別な生き物にさせたのは私たち人間なのだ。
馬を世界に広げ、競馬を振興してきたのは私たち人間である。
その形は国によって異なるが、世界で最も異質な国は間違いなく
我が国(日本)であると言える。
その動向の変化は現在も続いている。
ビジネス、レジャーの観点では、
馬は実馬である必要のない時代に入った。
人間もボーカロイド、VTuberと様変わりしてきた。
また、二重国籍(我が国は慎重)よりも「二つ名(ハンドルネーム、プレイヤーネーム、チャンネル用ネーム)」が当たり前の時代になった。
夜の仕事(源氏名)でも、芸能人でもないのに・・・
そのうち性別や年齢の重要性もなくなっていくのかもしれない。
生まれつきの身体から脳が離れ、整形、人工授精どころか「AI」や「細胞」操作の研究まで行われている。
競走馬(サラブレッド)は「はやい」ことに価値がある。
それを述べる為に人間と馬、競馬の関係性を少し論じてみた。
ゲームの中でも「はやい」馬に価値がある。
ウマ娘がの場合はその上に「可愛さ」が乗っかった。
可愛ければ、はやくなくても許される?
否、「可愛さ」と「はやさ」の両立が重要なのである。
その間に人為的な育成が加わる。
育成ゲーム。
これは現代的な言葉に聞こえるが、私たちは大昔から身勝手に動物を改良し、淘汰してきた。
それが分岐して
馬が残り
「競馬」が誕生した。
「はやさ」を作るゲーム(娯楽、遊び)として・・・
そのゲームは今や地球規模となっている。
日本調教馬がフランスの「凱旋門賞」に出走する
ディープインパクト産駒が「英ダービー」に出走する
それをも超越して・・・
現代社会ではゲーム「ウマ娘」がある。
(2023.1.03)
・文章校正中
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