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第55話:東京オリンピックとゲーム音楽(可視化された現代日本社会)

文明・文化・国民国家の見せ所である

「スポーツの祭典」オリンピックの開会式

そのために我が国が用意したのは・・・・

古い新聞を取り出してみた。

2008年8月24日(朝日新聞、朝刊)

タイトルは「北京五輪の終わりに」
(「空疎」でも関与が大切)

藤原帰一(東京大学教授、国際政治学)

15年前の記事だ。

内容を見ていく(若干編集)。

まず、一段目(国際社会とスポーツとは)。

「北京オリンピックを開いて良かったのか。
オリンピックを政治と切り離すことは不可能である。
平和の祭典とは言いながら、国ごとに競うという構造自体が国際政治とスポーツは関係している。開催国ともなれば、国家と国民の姿を世界に示す、「国際社会の一員」として認知させる機会にオリンピックが利用されることは避けられない。
第2次大戦後に限っても、ローマ、東京、ミュンヘンで開かれたオリンピックには、この大戦の枢軸国側が生まれ変わった姿を示すという目的があった。例えば、88年のソウルのように、オリンピック開催に間に合わせるかのように軍政が打倒されたこともある。
反対に、「国際社会の一員」として認めがたい国でのオリンピックは禍根を残す。映画「民族の祭典」に見られるように、36年のベルリン大会はナチス・ドイツの宣伝に利用された。アフガニスタン侵略を理由としてアメリカや西ドイツ、日本などはモスクワ大会をボイコット(棄権)し、それとは逆に旧ソ連・東欧諸国などはロサンゼルス大会に出なかった。」

重要な部分を太字にした。

次に二段目(北京オリンピックについて)。

「北京大会。開いて平気なのか、不安と心配のつきまとうオリンピックだった。共産党の独裁が続き、言論集会の自由が認められない。チベットやウイグルでは抵抗する運動が急進化している。これにギョーザ事件のような透明性の欠如などを加えて見れば、中国は異質(異常)だ、まるで信頼できないという意見にも説得力が増す。
問題は、北京オリンピックが中国を「国際社会」に引き寄せる役目を果たすのか、それとも異質な問題のある現状を固定し、誇示するイベントに過ぎないのかという点にあった。そして、開会式における伝統文化の自画自賛や他民族共存の誇示に見られたように、北京大会が中国の国威発揚に使用されたことは否定できない。この演出を担当したのは、映画「紅いコーリャン」で有名なチャン・イーモウ監督。この優秀な演出家=監督が、ここでは伝統の誇示と政治宣伝に才能を消費するばかりであった。とても悲しい光景だった。
だが私はやはり、北京オリンピックをボイコットしなくて良かったと思う。というのも中国を排除し、孤立化させる政策には賛成できないからである。
異質だから、といって排除しても、望ましい方向に転換する保証はどこにもない。モスクワ大会のボイコットは米ソ関係の緊張を一層深めた。そのため従来から対外不信の強い中国を孤立化させる政策は賢明な外交とはいえない。」

最後に三段目。

「私は中国共産党の独裁は不正であり、続くべきではないと思っている。しかし、その変革は中国の内部からもたらされるべきだとも考える。そして現在の中国は、かつての大躍進運動や文化大革命の時代から大きく変貌した。その変化は、中国を国際関係と世界市場に迎え入れようと狙う米中接近以来の政策に支えられていた。
中国の現在ではなく将来(未来)を、また中国政府ではなく、その政府を変える国民の力を信頼すること。そこから生じる選択は、排除ではなく、関与である。政治目的のオリンピックがどれほど空疎であっても(切ないものであっても)、決して政策の基本を見誤ってはならない。

とても重い・・・

翻って、一昨年の夏に行われた「東京オリンピック」は何だったのか。

スタジアム建設、エンブレム問題、(コロナ禍における)曖昧な政府の態度、実行委員の不甲斐なさ(指揮命令系統の欠如)、

マスコミを通して見られた姿は主に日本政府の決断力のなさと弱さだった。

東京オリンピックは国際世論と国内世論を考慮に入れながら、半ばごり押しスタイルで実行された。

その姿はまるで既成事実を積み上げて(予測込み、やったもん勝ちで)実行された戦前の日本政府(軍閥政権)と変わらないものだった。

一方で、開会式はとても中国に比べれば、幼いものだった。

メインは各国入場で行われた「ゲーム音楽」の演奏(生バンドでもなく、録音!)

また、芸術的な側面も中国に比して雑な作りであった。

(演出に小林健太郎氏、お笑い芸人ファンの私は彼らの存在をデビュー時から知っている・・・これが日本のレベル。この時期の解任に意味があったかどうかは不明。ユーチューブに笑いと芸術の融合作品が沢山転がっている。インテリ系芸人中田敦彦からは「神」と崇められるような存在である。)

地球とイマジンの演出は何だ?あれに日本のオリジナル性(独創性)はあったのか・・・

世界の人はいったい何を見せられたのだろう。

平和な日本。クールジャパンの国。ゲーム大国日本。ものまね芸人日本。

そもそも安倍マリオの時から「オリンピック」を遊びと考えていたのがわが国である。

北京では、羅針盤、紙、漢字、楽器、壮大な演奏や踊り、多民族国家・共生の演出等、文明の中心としての大国=中国の姿が描かれた。

(演出に子どもによる「情」:民族共生、や歴史的な映像も加えられた。ちなみに中華人民共和国という名前は「世界の中心である民族の共和国」と言う意味である。「華夷秩序」の観念。)

当時、藤原氏はこれを否定していたが、日本のオリンピックと比べると

中国はたいへん大人な国民国家であった。

開催前から「無責任の体系」(丸山眞男)、「失敗の本質」(有名な研究書)の現代版(ドラマ)の過程を見てきた私は、

呆然とした。

一方で、日本にはこれしか武器がない。

という現状も悟った!

政治経済は諦めて、思考停止、他国依存。

アニメ、ゲーム産業における「一等国」として国際社会の道を歩む。

少子高齢化、経済力の衰退(この国の未来に明るい兆しはないと考えがち。しかし、それでも随分立派だったと思うし、未来もそこそこ明るい日本なのであるが・・・どうも日本人は真面目すぎる。私は近代日本・戦後日本がラッキーだったと思っている。

前置きが長くなった・・・笑

2021年、日本で一番流行ったゲームは何か。

ゲーム音楽、ライブで「覇権」を握っていたコンテンツは何であったか。

夏休み。

ある意味若者たちにとっては「東京オリンピック」よりもたいへん人気があり、話題となった分野があった。

(オリンピックは短い物語である。ちなみに大学生の巣ごもりは8、9月)

それがゲーム「ウマ娘」だった。

追記)

ロシア・ウクライナ問題もあった。

だが、ネット上では同時期に「ウマ娘」の話題が席捲していた。

これは別の話に思えるが、

まったく関係のない出来事とは言えない、

ということを今回は述べたかった。

(2023.1.05)

編集中。

この方向性で日本は良いのだろうか。

(守られた)平和大国としては・・・

(現実は守られていると信じている、のであるが・・・)

そう言えば昔、『こどものおもちゃ』という少女漫画(『りぼん』連載)があった。

オリンピックの開会式はおもちゃに見えた。

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