プラットフォームと責任

いくつかの問題のある記事を受けて、「noteやめました」が一部で流行ったり、cakesやその運営するnoteに書くということが既に差別への加担であるというくらいのことをTwitterで言われたりもしているけど、プラットフォームに対するその場にいる人の責任の範囲というのはどこまで適用されるものなんだろうなというのはしばしば気になっている。特に特定のプラットフォームを使っていることを咎めるというのにしても、ある程度は理解するんだけど、よりによってTwitterで言われると、何だそりゃって正直思うんですよね。まずはTwitterやめればいいのに。あそこも相当な魔窟だというのは当人たちも気付いていると思うんだが。
僕はRTボタンを押さない、RTをしないという方針で、少なくともこの7年くらいはTwitterを運用している(初期にはRTもしてたけど)。RTした元の発言者が問題のある人だった場合に後悔するのは自分だと思うからだ。引用RTも自分の発言に対してだけしか行わない。責任論なんて嫌いだけれど、そうであるが故にそこにこだわってしまう。
僕はフェミニズムに肯定的な影響を受けている側ではあるけれど、140文字以内でフェミニズム的に有用なツイートがあったとしても、実はその人は他の発言ではTERF(トランス排除的ラディカルフェミニズム)かもしれない、ということも多々ある。そういうのにこそ加担したくない。当たり前のことだけど、僕もトランスジェンダー差別には明確に反対します。
自分の発言でないものを自分の意志を示すものとして気軽にRTしていくスタイル、自明のものだと思われてるんだろうけど、個人的には極めて危ういものだと思ってますよ。

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