拝啓 松村北斗 様

なんて書いてみたけれども全然手紙調ではありません
これはTwitterに垂れ流すには重すぎて気が引ける(怖い)ひとりごとの延長です、
まぁ北斗ありきだからひとりごとじゃないんだけどな!恐らく届かないしな!!ということで気兼ねなく垂れ流します。

本当に松村北斗という人間は、どれほどの引き出しを持っているのか未知数だ。引き出しと言うより側面という方が少ししっくり来るけれどそれもまたほんのり違う。

その場その時その状況を反射したり、染まったりして変化するある種の媒体のように感じるときすらある、そのくらい広くて深い表現者だなと思っています。

こうやって語り出すと何がもどかしいって、言葉以上に感情を表せるものがここにはないのに、言葉じゃ到底感情を模倣できないこと!!
近いだけで空っぽだなぁと思う。
かと言って言葉にする以外で外に出すことも出来ないし、感情なんてものは自己認識の範疇を超えようとしたら言語化する以外ない。

話が逸れましたが、ここまででだいぶ私という人間の面倒くささを露呈しています。読んでいる方(いるのならば)大丈夫ですか?引いてない?怖いですが、もう露呈しちゃったので続けます。


松村北斗を形容する適切な言葉がいつもすごくほしいのに見当たらないんです。死活問題。"表現者"ってあまりにも漠然としていて、好きな響きではあるもののなんだか足りない。

容姿を形容する言葉として挙げるならば眉目秀麗、艶美、妖艶、秀美……うーんこれもまたぴったりではない。と、いつも悩んでしまいます。

結局松村北斗という存在を形容しているのは"松村北斗"という名前だけ、そういう結論に至るんですが、なんだか、もう、ねえ。
やっぱりどうしても、語れる言葉を欲してしまう。無いんだけれども。

何が言いたいかって、私は彼が見せてくれる世界がとても好きだということ。自分でも何を言いたいのかよくわからないけれどとにかく、

松村北斗って、存在が宇宙。


そのくらいには思ってしまう。自担贔屓なのでしょうか。

アイドル(人によりけりだとは思いますが)はセルフブランディングのプロだ。
特に松村北斗というアイドルは、媒体越しに受け手へ届く"自分像"を捉える能力がずば抜けて鋭い。(と、私は捉えています)

その場の空気を掴んで染まったり浸ったりすることに対して匠で、その上それがとても好きなのだろうな、と思わされる瞬間もある。

松村北斗がもつ、時に退廃的な特有の没入感。それを目の当たりにして、目を離せるわけがなかった。

すごくすごく、自分が置かれた世界を堪能する人だなと思います。胸が苦しくなってきた。

先ほど素晴らしく壮観な松村北斗様の写真が視界に飛び込んできたのですが、それがまた初めて見る表情で。思い返せば、写真のテイストやニュアンスが似通っていても同じ表情はひとつもない。人間だもの、当たり前。って言われたらそこまでだけれど、本当に全部纏った空気や湿度がちがうの。七変化どころじゃない。

衣装、セット、ヘアメイク、フォトグラファーさんの作風、全てを余すことなくインストール(咀嚼、解釈)しているのではないか?と思わされるほど、毎度毎度、表現を更新し続けてくれるもんだから堪りません。

もはや、世界に染まり浸るプロフェッショナル。染まり浸りプロと呼ばせてくれ。

あとその神がかったポージングとバリエーションの広さ。本当に見ていて楽しいんです。

身体の使い方ひとつひとつが、“媒体”としての自己に対する意識に溢れているというか。

身体のどこもかしこも先端まで、表現を体現するために築いてきた神経が行き届いているんだろうなぁ。なんて勝手に空想します。

恐らく私は一生見られない瞬間なのだけれども、ああいう人がカメラの前に立つ瞬間の切り替わりを目撃したいと渇望してしまう。
絶対に鳥肌が止まらないし腰が砕けるだろうな。一生立てないだろうな。

音楽番組でのパフォーマンス前、スッ……って、“入る”瞬間が垣間みれた時、泣きそうになった。(この表現が正しいのかは、当然わからない)
これだ、これだよ、これが松村北斗だ。と、何も知らんくせに何故かめちゃくちゃ思った。

作品中の彼はいつも、登場人物にみえる。音楽ならば、その世界の。お芝居なら、また然り。

元あるものを丁寧に解釈しながら自分で世界を創造して、更にその中に生み出した自己を全うする、というか。

それってとてつもない想像力がないとできないことだと思います。松村北斗の想像力とそれを出力するパワーは、底なしの天井知らず。

熱くなってきたらやっぱりキモイな私は。だけど私は言葉が好きなのでまだまだ激重キモツイを延長します。

私、元はと言えばSixTONES沼落ちしたのは松村北斗がきっかけではありませんでした。

ここには書かないけれど、他メンバーにえぇ!?かっこいい誰これ!?キャピルンルン ってなってた。あれもまたいい思い出。いかにも私が好きになるタイプだったよね!とは思うのですが、今では松村北斗松村北斗松村北斗エブリデイ。もちろんみんな大好きなのですが、私にとってのたったひとりは松村北斗でした。

なんで私はこんなにキモキモ激重強火松村北斗担になってしまったのだろうか?それはやっぱり、彼の表現に惚れてしまったからですよね、(溜息)

まず初めに松村北斗へ目移りしてしまったきっかけ(言い方超不適切)は、ダンスだった。私ほんっっっっっとに彼の踊り方が大好きなんです。みんな自担に対してはそうだと思うけど!!!そうでもなかったらごめんなさい。

それもまたやっぱり、楽曲に染まり浸って、何かに憑依されたように踊っていた……というか踊り狂っているような姿がとてつもなく胸に突き刺さってしまいまして。

そしてあのファッションですよ、もう大好き。私が男性だったらああいう服装をしてた、って言いたい。言わせてくれ。本当に好きだ。

しかしトドメはなんと言っても、内面でした。ここで言う内面とは、彼が見せてくれる外向きの内面のことだけれど。

やはり言葉の力は偉大なもので、本人から発される言葉って、絶対に各所のフィルターは通っているはずなのに、何か純度の高い破片のように思ってしまうから、染み渡ってしまってだめだった。

そんなことはないぞ!!と頭ではわかっていながらも、ちょびっと脳内を覗き見できたような、そんな感情になってしまって。

彼のブログやエッセイで綴られる言葉、私はその一部分しか知らないけれど、それでも、それが、トドメだった。

共感するところが極端に多すぎて、ここまで嵌ってしまったのだろうな。

人間、弱いところの方がたぶん他人の共感を煽る。少なくとも私はそういう受け取り方をする人間で、感情に対してとても共感をしやすい。

例えば、

なんだかいつでもグルグル頭の中で思い巡らせているであろうところ、
言葉がとても好きなところ、
話し言葉や書き言葉、コミュニケーションと表現にそれぞれ意識を持っていそうなところ、
比較を経験してきたであろうところ、
点によって自己肯定感の高低に激しく差がありそうなところ、
承認欲求と自己実現欲求は人一倍強いであろうところ、
人間関係に対して独自の尺度が色濃いであろうところ、
ちょっと音に敏感であろうところ、
人がいる場所ではあまり眠れないらしいところ、
食に執着がありそうなところ、
深い意味の有無は問わず、日常的に生死について意識しているであろうところ……

もう語り出したらキリがない。ぜんぶぜんぶ私の都合の良い解釈なのですが、どうしようも無く激しく共感してしまって、どっぷり好きに浸ってしまいました。

心地いいのだと思う。彼から発される言葉ひとつひとつや、脆さ弱さを内包していることを見せながら示してくれる強さ、図太さが。

悔しくなっちゃうな。私の中の北斗は人を魅せる鬼才です。私が見ているのは紛うことなき松村北斗の根幹から派生したものなのだとしても、やっぱりそれは、魅せるためのもの。加減や調節や補正が加わったもの。

だからこそ本質的な根っこを探し求めてしまう、追い続けてしまう。あなたは今日もそうやって、たくさんの人を魅了するのでしょう。最高に罪で、最強に美しい人です。





彼の見せてくれる世界が、今日も好きだなぁ。ありがとう、どうか毎日健康に、長生きしてください。






とりあえず、おわり



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