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 パンフェロフ『貧農組合』の邦訳について

 一体現在の日本にパンフョーロフ(Фёдор Иванович Панфёров)を知っている人間がどれくらいいるのかというようなことを問題にする気は無い。だって、例えば、「宮本百合子の文章に出てきたこのパンフョーロフとかいう人の作品はどこでなら読めるのかしら?」とか思う人間がいても不思議では無いではないか。私だってそうである。だから意気揚々と「パンフョーロフ 邦訳」とか「パンフョーロフ ブルスキー」とか検索してみて、結果それらしいものが全く出てこないことに落胆することになるのだ。これはそんな落胆を味わった人の為の記事である。 
 しかし、確かに存在したのだ、パンフョーロフの邦訳が。でもここに問題がある。上を見て欲しい。パンフョーロフでは無くて「パンフェロフ」になっているのだ。これではいくら「パンフョーロフ」と検索してもヒットするはずがない。何故にパンフェロフなのかは不明である。Панфёровなのだから、表記は「パンフョーロフ」が妥当なはずだ。もしかしてеとёを間違えたのだろうか?まあ日本語表記に正しいも間違いも無いのだが、これは少しイジワル(?)と言うべきであろう。それではどうやって私はこの本に辿り着いたか?下の画像を見てほしい。

「パンフエーロフ」

 上の画像はバフメーチェフ『マルチンの犯罪』(杉本良吉訳、鉄塔書院、1931)に掲載された自社広告である。ここに載っているタイトルは、鉄塔書院の「ソヴェート作家叢書」シリーズを飾るものとして刊行されるはずだった本たちである。結局は未刊のままに終わったのであるが、私はこれを見た瞬間にピンと来たのだ。「もしかして『パンフェロフ』または『パンフェーロフ』という表記が当時の主流だったのでは?」と。しかも、『ブルスキー』Бруски では無くて『貧農組合』という邦題が使われている。こうしてパンフェロフ(パンフョーロフ)の『貧農組合』(『ブルスキー』)に辿り着けたというわけである。満を持して情報を書こう。



  エフ・パンフェロフ『貧農組合』(武田麟太郎訳、内外社、1931)

 内外社から既に邦訳が出ているのに、鉄塔書院も『貧農組合』の邦訳を出そうとしていたのが分かる。だから、『貧農組合』の邦訳が二種類存在する未来もあり得たわけである。
 ここで内外社から出た『貧農組合』の邦訳について注意を促したい。この邦訳は未完である。それも当然なことで、パンフョーロフが『貧農組合』を書き上げるのは1937年のことである。訳者である武田麟太郎の言葉によれば続きも訳される予定だったらしいが、これは実現していない。残念至極である。

 


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