見出し画像

幼少期の記憶、その他🍨 あきやさん講演会感想#4

幻冬舎大学のあきやさん講演会#4 はアーカイブで見たのですが、本当にめちゃくちゃに沁みました…😭
5月の講演会から数ヶ月が経ってしまったのですが、メモをしながら考えていたこと、思い出した自分の過去のことなど色々あったので、書き残しておこうと思います。
アーカイブ、かなり弱っている時だったのもあって、なおさら沁みわたった……あきやさんはみんながその木陰に集う大木…湧き出る泉のようなパワースポット🌳

なりたいと好き

これまでなりたいと好きの違いがいまいちわかっていなかったのですが、講演会での“なりたい”は自分の哲学、美学、骨に刻みたい言葉、というのが目から鱗で。なりたいは理性の方向、頭蓋骨に刻みたい言葉、好きは逆に本能の方向、ときめき、というのもすごくわかりやすかったです。
惹かれるけど、本当に“なりたい”なのかな…?でもなれるならなりたいが……といままでもごもごと思っていた言葉は、ほとんど“好き”に分類されそう、という気づきがありました。

聴きながらいくつかのことばを分類してみた🌷

なりたい
聡明さ、愛情深い、ユーモアのある、才気煥発
好き
かわいい、詩的な、ポップ、クラシカル、ノスタルジック、儚げ、大人びた、すきとおった、おしゃれな、シックな、清々しい、凛とした
違和感
自分勝手、奇妙、インパクト、強烈、地味、子供っぽい
欄外
かっこいい、きれい、スポーティ

“好き”はかなりいっぱいあって、もっと出そうと思えばもっと出てきそう。
たとえばおしゃれさ、シックさが強烈に好きで、どうしても惹かれてしまうので、なりたいかな?と思っていたのですが、骨に刻みたいかと言われるとちょっと違って、ただ強烈に「好き」なんだという気がした。圧倒的に感情のほう。抗えない魅力がある。

ちなみに“才気煥発”は、miumiuのブランドイメージからきた言葉です。大好きな使い魔バッグがmiumiuなのですが、コンセプトもラブです。

伝統的な美的イメージにとらわれず、解放された意識を持ちあわせた女性の本質を投影したブランドです。ナイーブでありながら才気煥発な強さを兼ね備えたミュウミュウは、現代女性の核心にある反抗的かつ魅惑的な精神を描いています。

https://www.pradagroup.com/ja/brands/miu-miu.html

いい…!良すぎる。“解放された意識”というのもいい。
でもこれも「好き」寄りかもしれない🤔

頭蓋骨に刻みたいことばは何?

たとえ痛みを伴っても、頭蓋骨に刻みたいかどうか。人からは見えなくて、自分だけがわかる、覚悟のことばはなんだろう。
そう考えると「優しさ」にまつわるもろもろの想いが、自分のなりたいの原点だったかも…?と思い出しました。

「優しくなれますように」と願っていた日々

幼稚園の頃の私は、同い年の友達と本当に仲良くすることができず、毎日必ず喧嘩して、毎日必ず泣いて帰ってくる、そういう子供でした。とにかく我を通そうとするから…。
みんなが並んで座っているところに、少しでも隙間があれば割り込んで入る、でも友達は通さない。ほしいおもちゃがあれば取る、でも自分のおもちゃは渡さない。ひどい🙃
しかも横暴な自覚がない。本人(私)はとにかく毎日なんかうまくいかないんだよな、なんなんだ、というくすぶった気持ちを抱えていたことだけを覚えています。成長してから当時の話を聞くと本当に申し訳なさすぎる。
親も当然さんざん叱るのですが、私が感じていたのは「友達と遊ぶと必ず帰りに親に怒られるので毎回いやな気持がする、かなしい。でもなぜそうなるのかはわからない」という感覚だけでした。毎日挫折感と失敗感があった。
成長してから親に当時こう感じてた、と伝えたら腰を抜かしてました。あんなに一生懸命言い聞かせていたのになにも伝わっていなかったの!?という笑 自分が何をしているのか、なぜ叱られているのか、何にもわかっていなかったんですよね。
ガキ大将みたいな強さがあるように見えるかもしれないのですがむしろ逆で、クラスで1番身体が小さく、病弱で力も弱く、運動は全くできない。口だけは達者だったらしいですが、とにかくすぐ泣く。でもその身体の弱さに見合わず、我が強かったんだと思います。自分の存在を主張していかないとやばいぞ!という、焦るような感覚を勝手に持っていた気がします。身体が貧弱だからこそ余計にそう感じたのかもしれません。

でもあるとき、これまでの自分のふるまいがめちゃくちゃまずかったのだ、とはっとする出来事がありました。
よく喧嘩していた友達と遊ぶというタイミングで、母親から、くれぐれも喧嘩をしないように、そして「あんたと遊ぶと喧嘩になるからいやだといって、〇〇ちゃん泣いてたんだよ」と言われたのです。それを聞いた私はそれこそ雷に打たれたような、かなりの衝撃を受け……。

その子は私の中ではわりと気が強い印象があり、二人で喧嘩してキー!となって二人とも泣くのが日常でした。なんというか、関係は対等、しかも人間関係ってみんなもそんなものだと思っていました。
でも私と遊ぶのが嫌で泣くということは、〇〇ちゃんはほかの子相手ならきっと喧嘩にならずに済むんだ。なら喧嘩になるのは、もしかして私のせいだったってこと!?と思いました。ここにきて初めての気づき笑
しかも気の強い彼女が怒るでもなく、あなたとは遊びたくないと直接言うでもなく、泣くというのは。
初めて、私は彼女を傷つけていたんだ……とはっとしました。本当に衝撃でした。
そして、決して傷つけたいわけじゃなかった、ごめんなさい、と思ったのです。
当時は自分が好き勝手ふるまっていた分、他の子が好き勝手ふるまっても、嫌なことをされても、喧嘩にはなるものの、たぶんあんまり傷ついてはいなかった。きっと情緒がそこまで成長していなかった…笑 でもある意味、毎日が戦闘状態なのですさんではいました。

この一件があってから、決して相手を傷つけたいわけではなかったし、これからも傷つけたくない、と思いました。本当は喧嘩もしたくない、毎日泣きたくないし、みんなと仲良く平和に過ごせるならその方がいい。

一方で一緒にいても自然と穏やかでいられる友達というのが本当にごくわずかではありましたが、いました。今考えると同い年なのにみな精神的になんだか大人で、のんびりしていたり優しかったりするタイプで、そういう子の側にいると安心しました。自分もあんな風になりたい、とかなり強く思うようになりました。程遠いけど……。

自分に足りないのは優しさだ。そう思った園児の私は、そこからずっと、優しくなりたい、と願うようになりました。人を傷つけないでいられるようになりたい。
でも自然にふるまっていてこうなってしまったので、自分は自分のままではだめなんだろうなあと漠然と思ったのです。でもどうしたらいいのかよくわからなかった。
そこで例えば神社やお寺でのお参りや、七夕のたんざくを書く時、そういう見えない誰かにお願いできる機会がある時、「優しくなれますように」とお願いをするようになりました。
このことは親にも誰にもなんとなく言えなくて、密かにお願いしていました。もう神頼みしかない、みたいな気持ちで。当時としては、かなり切実な願いでした。

そうやって願いながら、自分が穏やかでいられる優しい友達にしてもらって嬉しかったことを、人にもしようと思って真似するようになったのだと思います。心身ともに少しずつ成長していったのか、人に譲ることを覚えました。
そうして成長してから、ああそういえば、神様にあのお願いを、いつの間にかしなくなったなぁ…とふと気づいた時がありました。
心から優しくなれたわけではなくて、たぶんそういう優しい感じのふるまいを覚えて、そのおかげで人と仲良くできるようになったから、いつのまにか忘れたんだな、とそのとき思いました。

我の強さや、欲しいものを手に入れようとする根本のところは、幼稚園時代からあんまり変わらないのだと思います。いまでも、自分だけで完結する事柄なら、努力でもなんでもして、ほしいものや結果を手に入れたいと思うタイプです。
でも友人関係においては、嵐のような幼稚園時代からは一転、おだやかな関係を築けるようにだんだんとなっていきました(人間関係の土台の部分をすべて幼稚園で学んだ気がする笑)。

ふたたびのなりたい

ここまで優しくなりたいと願っていて、なぜ「優しい」を“なりたい”ワードにスムーズに選ばなかったのか、自問自答ファッション教室でもその後も、ちょっと不思議に感じていたことでした。
むしろ教室では「人から言われること」の項目に唯一選んだのが、「やさしそう」で。
自分の本質を自分でやさしいとは未だに思っていないけど、でもやさしそうなふるまいは昔よりできるようになったかも、と感じていて、だから「人から言われる」の項目に選んだのかなと当時は思って。
それでもう今の自分には必要ない、卒業ってことなのかな〜?と教室のときには思っていたのですが、今回頭蓋骨に刻みたいことば……と改めて考えてみると、幼稚園時代に抱いた根本的な想いの形自体はあんまり変わっていなくて、下手したら30年近く持ち続けている想い、憧れの形かもしれない、と思いました。
なら頭蓋骨に刻んでしかるべきでは?
でもそれを「優しい」という言葉で言い表すには、どこか物足りないように感じている、ということみたい。

私のなりたいは、幼稚園の頃の私にもやさしくしてくれた、穏やかでいさせてくれた人たちからできていて、中でも特に大好きで憧れだった友達、彼女の姿が原点でした。
同い年なのに大人で、なんだか包容力がありました。私の焦りを落ち着かせてくれるような安心感があり、親しみやすさがあり、ユーモアとサービス精神がありました。一緒にいると落ち着くだけじゃなくて、たくさん笑って過ごせる。私の「優しくなりたい」は、要は彼女みたいになりたい、だったんだろうなと思います。
自問自答ファッション教室でコンセプトを決めた時に、「強い」を選んだのは、見た目の強さではなくて、人を助けられる強さをイメージしている、と以前書きました。やさしいほうに強くありたいという感じです。強いとか、愛情深いとか、あと人を楽しませる、というワードにこの想いを込めていたみたいです。
一方で冒頭にある違和感ワード、色々挙げた中でも、とくに「自分勝手」と「子供っぽい」は自分で自分に言ったら胸の痛みを自覚しながらファイティングポーズをとってしまう感じなのですが、これは完全に幼少期に抱いたコンプレックスを刺激されるからなのだと思います。自分のことを自分勝手で子供っぽいと感じて、それは私が嫌だった私の姿なのだろうな。言われたくない、隠したい、そう思われたくない、見えないようにしたい。そんな感じ。

親愛とユーモア、聡明さ

自分のなりたいの中のかなり大事な要素が、ユーモアがあることだなと、書いていて気づきました。その憧れの友達は、人を和ませる穏やかなユーモアのセンスがあって、その子と笑っているとすごく幸せな気持ちになる、そんな感じ。
ユーモアといっても本当に色々あるけど、人を元気づけるユーモアのイメージ。それって尊いなと感じる。どんなときでも、つらいときでも誰かと笑っていられるのって強さだし、自分への、他人への、優しさな気がする。ちょっとした緩さがあるところもいいなと思います。
一緒に笑えることは親しみやすさにもつながっている気がして、親愛という言葉もいいなぁと感じました。
人を寄せ付けない孤高の強さは芯があってかっこよくて、それもちょっと憧れるけど、自分が頭蓋骨に刻むならどうしても愛情深いとか、親愛とか、そういうことばを選びたくなる。
北風と太陽だったら、どうしても太陽でありたい、という思いがずっとある🌞結構内向的なので太陽って感じからは程遠いのですが。

そうしてやっぱり聡明さという言葉もいいなぁ。あきやさんの講演を聞きながら言葉の仕分けをしたとき、聡明さは反射でなりたいに分類したんですよね。
自分にとっての「聡明さ」をもう少し深堀りしてみると、単に頭の回転が早いとか、勉強ができるとかいうことではなくて、一つには知恵があること。その知恵のイメージは、自分やだれかの助けになるような、真理みたいなもの。言葉で表すのがむずかしい。
あともう一つ大切な要素として、聡明さって、究極的には自分が愚かであるとちゃんと知っていること、自分が見ているものが全てではなくて、自分や自分の判断が正しいわけじゃない(どうしても正しいって思って、感じられてしまうけど)って、ちゃんと知っていることかなと思うのです。つまりきっと、謙虚さでもある。
この謙虚さ、もう幼稚園時代を見たらわかるように自分に1番欠けているところな気がする。だからずっと憧れてきたのかもしれない。

全部、一体どうやったらなれるんだ?という感じ笑
コンセプトにどう落とし込むかとか、具体的にどんなファッションにつながるのかとか、まだ全然整理できていませんが、大事にしたいキーワードとして持ちながら過ごしてみようと思います。

❣️2択クイズ❣️

講演会の中にあった2択クイズと考えたこともここに書いておこうと思います。
①一つのスタイルをきわめたい
→憧れ、でも自分のスタイルってどんな風だろうという思いがある(わからない、知りたい)

②少数精鋭のクローゼットがいい
③広い家がいい

→自分のずぼらな性格的に家が広いと少数精鋭にできないのではないか?という思いはある笑
でもあきやさんが言っていた、服たちを木の太いハンガーにかける、それにかけたいと思えるだけのお気に入りたちだけ持つ、というのがとっても憧れ…。いまほっそいハンガーたくさん使ってる…。

④便利な都会に住みたい
→知らない人がたくさんいる都市空間、肌感覚としてものすごく安心してしまうのでもうだめだ 

⑤細やかで繊細な美術品バッグがすき
→好きなのは圧倒的にこれなのですが、実際たくさんの荷物を軽く持てるリュックとかの安心感はすごい…この“好きなもの”と“身体が楽なもの”がずれまくる問題をずーっとかかえています(靴についてもそう)

⑥時代に流されない自分orトレンド最先端
→どっちもほしいよ〜。もともとの性質的にはたぶんトレンド気にしないがちなのですが、自問自答ファッションを知ってからファッションについてはトレンド最先端って素敵だなと思うようになった。でも自分が最先端はやっぱりあんまり想像つかないかもしれないなぁ…。

⑦まげない自分の信念を持ちたい
→これはこう。持ちたいというか信念、わりとある気がする、すでに…。自分の信念としてここは柔軟に沿っていきたい、と思う事柄についてはそうするし、そうしている気がする。

⑧ファッションのことを真剣に考えたいorファッション以外のことを真剣に考えたい
→これも迷うけど、どちらかどうしても選べ!と言われたらファッション以外かな…。でも迷う程度にはファッションのことについても考えたいと思っている、というのが自分でちょっとおどろきでした。
自問自答ファッションを知ってから、装いというものの自分の中での重要さ、地位にすごく気づいた気がします。それまでは装いにこだわる=見た目を気にすること、見た目に気を取られること、だと思っていて、それってあんまり良くない、あるいは瑣末なことかな?と感じていたんですよね。でも自問自答ファッションとあきやさんのおかげで、ファッションって単純な“見た目”の問題じゃなくて哲学なんだと知りました。

⑨自分らしさをつくりたいor自然体で流れていきたい
→これが1番難しかったかも、作りたいんだけど無理すると続かなそうなので、自分の自然体をベースに自分らしさをつくりたいし、自分がなにをどうつくりたいと思うかから、ひるがえって自分の自然体を知りたい、という感じ。100%の自然体を外にみせることはそこまで望んでいない気がします。

⑩情熱的に生きたい
→これはこう。

まず承認欲求満たしちゃお👗

あと印象的だったこと。質問コーナーで、承認欲求がある場合はまず人からどうみられたいか考えてその服を買って着て、承認欲求満たしちゃお!そのあとでなりたいの服を買お、というお答えがあったと思うのですが、そっかそういうパターンもありなのか、ありだよなぁ、それも大事にしたいなと思いました。
承認欲求がある程度満たされて満足してからじゃないと、なりたいのファッションが出てこないか、けっこう中途半端になる気がする。それでも、それはそれでいいとも思うんだけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?