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お金をもらうということ

こんばんは。僕はとある高専で機械について学んでいる者です。最近はロケットをとばすことにはまっていて先日も打ち上げたばかりです。といってもほんとのロケットじゃなくてモデルロケットといって縮小版みたいなものです。今はロケットから見える景色を撮影したいなとチャレンジしているところです。

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最近困っているのがロケットエンジンって意外と高くて一回の打ち上げに1000円とんでいくのでなかなか何度も実験しずらいということです(学生にとって...少なくとも僕にとって1000円は大金です)。Facebookに投稿してみると支援を募ってみればしてくれる人もいるんじゃない?ということになりました。もし支援してあげてもいいよという方がいれば下のQRからPayPayに支援していただけると大変ありがたいです。

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https://qr.paypay.ne.jp/KQXE7vCfWrchBY5n

といっても実験段階なので見返りとして何かあげることができないです(ごめんなさい)。ただ実験データとかはこれからnoteで更新していきます。失敗しても何がいけなかったのかとか考察とかも入れようと思っています。

タイトルにあるとおり本題はここからです。Facebookでお金支援してもらえば?ってなって最初に感じたのは気持ち悪いということとイライラでした(アドバイスしてくれた方本当にごめんなさい)。僕は趣味でやっただけ、開発もやりたくてやったのに支援がもらえるかもしれない?そんなよくわからんやつにお金出す人なんているのか??となりました。

お金がまずなぜ存在しているのか、それはものや人が自分に利益を与えてくれたことに対してひとまずお金で交換しよう(どの地域でも共通の価値のあるものとして)ということから始まったと習いました。ものをもらったらその対価として何かが必要でその対価としてお金、逆にお金をもらったならその対価を相手に渡す必要があると思っています。つまり

「今回お金をもらったからには絶対成果をださなくちゃいけなくて更に相手が満足するものを作って渡さないと(お金を出してくれた人が)割に合わないじゃないか」

と思っていました。僕はそんなプレッシャーを受け、趣味の時間まで誰かのために何か作るのはとてつもなくいやです。お金をもらってるからやるという動機に変化してしまうのはいやです。

イライラしていることに対してもなぜ自分がイライラしているのか分析してみるといいということを教わったばかりだったので話を聞いてもらいながらその原因についても考えてみました。結果お金というものさしで測られるのがいやだからという結論に達しました。お金が払われなかったらどうしよう、みんなにしょうもないっていわれたくないなという風に自信がなかったということです。失敗はしてなんぼ、失敗してもいいからやった方がいいとは何度も聞いてきましたがそれでも失敗なんてしたくないし失敗しない楽な道を選びたいとなるわけです。

そんな話を先輩に話してみたところまず言われたのは「そんなに深く考えなくてもおごるおごられるみたいな感じ」ということです。誰も期待してないしきっとみんなうまくいったら面白そうだなみたいな感覚でやってるんだよ、といわれても、う~ん、そういうもんなのかなとちょっと疑問に残ります。でも次に言われた言葉でたしかにとなりました。

「夢や目標を目指してちょっと難しいこともチャレンジしてきたのにこの支援がもらえるかもしれないチャンスは逃すのか。」

(一言一句同じでないです)論点からはずれてるかもしれないですが、とにかくやってみるということが一番大事なのだと思います。

今回の結論はこれ!

とにかくやってみる

慎重に動かないといけないこと、もちろんあると思います。誰かに言われたらそうするべきでしょう。でも最初は慎重になりすぎてもそれで失敗するかなんて分からないからやってみるにこしたことはない。今はちょっといやなこともやってみたら見方が変わるかも。いやなままだったらやめればいい、そういう結論に達しました。こうしてnoteに書いて世間にだしたり明日の予定に追加したり小さく目標を声に出してみたり。今すぐはじめることで何かしら進展はあると信じ頑張っていこうと思います。

最後になりますが、ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。これは僕の「本日の気づきnote」第一号の記事です。頑張って更新していくのでこれからもよかったら見てください。

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