【私の暗黒時代②】血の気が引いた命懸けの出産
幼少期~大人になってからも波動の低い状態がずっと続いていた…というよりも、そのような状態が当たり前かのごとく、日常の感覚となっていた私の体験をシェアするシリーズ
波動を高く保つことがどれほど大切か、参考にしていただければ思います。
本日は第2弾!!
最後までお読みいただけると嬉しいです。
私は26歳で長女を出産しました。
予定では2~3年後に二人目を出産したいなぁと考えていました。
というのも、私自身が2番目の子で、姉と歳が離れていたからなのか…姉にしてみれば、ちょこちょこ付いてくる小さな妹が鬱陶しかったようで、ほとんど相手にされていなかったからです。
両親が仕事やその他いろいろで、夜遅くまで不在がちだったこともあり、姉は友達の家で遅い時間まで遊んでいて、私は物心ついた時には夜遅くまで家の中でいつもひとりぼっちでした。
自分が親になって、我が子を置いて家を空けるなんてことは、もちろんする気はありませんでしたが、できればきょうだいの歳の差はあまり無い方が良いと…勝手にそう思い込んでいました。
ところが…
人生そう思うようにはいきません。
二人目不妊が数年続き、産婦人科で不妊治療も受けました。でも精神的に辛くなる一方で、もうきょうだいはいいや!!! って諦めかけたとき…
めでたく妊娠。
でもこれがとてつもなく危険な妊娠となるわけです。
産婦人科で定期診断を受けたその日、全身の血の気が引いてしまうような説明を医師から伝えられます。
低置胎盤という名のその症状は、妊娠初期では15%くらいの妊婦さんに告げられるそうです。
でも、そのほとんどは胎児の成長とともに胎盤の位置が少しずつ上がっていく良好な経過を辿り、最終的に普通分娩で出産できるようです。
ところが分娩時になっても胎盤の位置が低いままで、とても危険な出産となる確率は、全体のわずか0.3~0.5%程度だそうです。
私の場合、改善される見込みは皆無で、妊娠当初からその0.3~0.5%の経過を辿ることを宣言されてしまったのです。
なぜかと言うと、胎盤の位置が最悪な全前置胎盤だったからです。
ご覧のように、胎盤の位置がすっぽり子宮口を
塞いでいる状態です。
ここまで真下に位置しているのは、通院していた総合病院でも実に8年ぶりだと言われてしまいました。
普通分娩は100%不可能で帝王切開となりますが、問題はその際の大量出血です。
通常の帝王切開より出血量が多いのは当然なのですが…場合によっては、バケツをひっくり返したような勢いで出血することがあり、輸血が間に合わずに、失血死する可能性があるということです。
赤ちゃんが犠牲になるケース
母体が犠牲になるケース
両方が犠牲になるケース
いずれも考えられると説明を受けました。
悪いことに関してはとてつもなく低い可能性を拾う‥‥自分自身の人生にそのような思い込みを抱えていたことが原因だったのでしょう。
対策として、妊娠中期から入院する必要がありました。
理由は2つ。
1つめは大出血に備えて、できるだけ多くの自己輸血を準備するため。
どれほど自己の血液を準備しても足りず、他者の血液を輸血される可能性は高いけれど、それでも少しでも多くの自己の血液を採取して、冷凍保存しておくためです。
定期的に血を抜かれては増血剤を注射されます。そしてまた抜かれる…の繰り返しを何度も何度もやりました。
もうひとつの理由は、万一、お腹が張って早産の傾向が現れた時、その場で大量出血してしまう可能性があり、あらかじめ入院していなければ、救急車で運ばれたとて間に合わないからです。
胎児の成長を考えると、通常の妊娠40週での出産が理想ですが、前置胎盤の場合それを待つと、お腹が張って大量出血の危険性がある。
だからその前に帝王切開した方が良い。胎児の成長も考慮すると、出産の最良の時期は36週らしいです。
医療の観点からは、そこまでは何としても胎内で胎児の成長を見届けたい。でもお腹が張ることだけは絶対に避けなければならない…というジレンマとの戦いです。
なので、入院中はずっとお腹を張らせない薬剤の点滴を24時間受けていました。
立ち歩きはトイレと3日に一度のシャワータイムだけ許され、それ以外は寝ていなければなりません。
トイレの帰りにガラス張りの新生児室の前を通るのですが、産まれたての可愛い赤ちゃん達を
ついつい眺めていると、看護師さんに叱られてしまいます。
やっとシャワーを浴びることのできる気持ちよさに浸りたくても、点滴の針が刺さったままの状態で、薬剤のチューブだけ取り除かれ、上からビニール袋で覆われた形のままのシャワータイムです。
何ヶ月にも渡り24時間点滴を受けていると、新しく針を刺せる箇所がなくなり、いま問題なく刺せている針を抜かないためらしいです。
そんなこんなで命懸けの出産。
手術室に入る直前、最愛の娘や夫、母や姉や義兄に見守られ、自分は生きてこの手術室から
出て来れるのか…とても不安でした。
だけど、娘の手を握り、この子のためにも絶対に生きると誓って手術に臨みました。
いまこのブログを書けていると言うことは、奇跡的に母子共に無事だったからです。
医療従事者の方に感謝。
心配させた家族や親族、友人達に感謝。
そして、守ってくれた見えない力に感謝。
世の中には欲しくても、赤ちゃんを産めない人もいる。命を脅かされる経過を辿ったとはいえ、子どもを持てただけでも幸せなんです。
「ない」ではなく「ある」に目を向ける…
全前置胎盤の出産を通して、私に必要な学びがあったのでしょう。
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