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oasis の歴史

2024年8月27日、再結成が発表されたoasis。


再結成が発表された日


oasis は私の人生の中でも最も影響のあったバンドのひとつです。おそらく一番Bootlegを買ってしまったバンド、一番LIVEに行ったことのある海外のバンドです。

25年前のブログの記事をそのまま掘り起こしてみました。当時あまり情報がない頃の記事ですので細かい間違い等はご了承ください。

かつてSONY の VAIO のCMに「Whatever」が採用されて、一気にお茶の間レベルにまで知名度がUPしたのではないかと思います。

oasis の前身バンドは、1991年にGuigsyと、Boneheadによって結成され、Tony McCarrollが加入したThe Rainです(もう1人はChris Hutton)。
そこにヴォーカルとして加入したのがLiam Gallagher(William John Paul Gallagher)です。
The Rain の音源は、コレクターCDで入手できます。("Take Me","Colour My Life"などのクレジットを見かけたら、The Rain の頃の音源です。"THE UNTOLD STORY"や”CREATION YEARS”という有名なアイテムに、この頃の音源がたくさん収録されています。)

この The Rain に、Liam の兄である当時INSPIRAL CARPETSのローディーだった Noel Gallagherが加入することで、oasis の初期ラインナップが揃うことになります。Noel が加入した経緯や逸話などはたくさんありますが、その辺は割愛したいと思います。

この時点でのoasis のラインナップは、以下の通りです。

Vocal Liam Gallagher
Guitar Noel Gallagher
Guitar Paul "Bonehead" Arthurs
Bass Paul "Guigsy" McGuigan
Drums Tony McCaroll

このメンバーになって1994年には立て続けにシングルがリリースされます。4月にデビューシングル"Supersonic"、6月に"Shakermaker"、8月に"Live Forever"、10月に"Cigarettes & Alcohol"、そして12月には"Whatever"が発売されました。

さらに1994年には、彼らのファースト・アルバムとなる"Definitely Maybe"(邦題は「オアシス」)が発売されています。当然前出のシングルも収録されていますが、名曲「Whatever」に関しては先にも後にもオリジナルアルバムに収録されていません。

なお、この"Definitely Maybe"は日本盤のみ2曲ボーナストラックが収録されているのですが、アルバムの最後ではなく、途中の4曲目、6曲目に収録されています。
アルバムは曲順など、コンセプトあると思いますが、間に差し込むなんてことあるんだ、と驚きました。

このアルバムの小ネタを幾つか。
収録曲の1つに軽快なメロディーが特徴的な「Digsy's Dinner」という曲がありますが、この曲の"Digsy"という人物は、後にUKでも注目されたSMALLERのDigsyのことです。

"Live Forever"のジャケットに写っている一軒家は、JOHN LENNONが育ったという家で、この曲とJOHN LENNONとの紐付けは、ビデオ"THERE AND THEN..."の「Live Forever」演奏時にメンバーの後ろの巨大スクリーン映し出された JOHN LENNON の顔写真を見上げながら演奏する姿からも見ることができます。

"Cigarettes & Alcohol"はT-REX(Vo.はMARK BOLAN。日本にもT-BOLANってバンドありましたよね)の「Get It On」のイントロがそのまま使われています。LIVEで演奏される際には、曲の最後にLED ZEPPELINの「Whole Lotta Love」が続けて演奏される場合が多いです。

"Whatever"はクリスマス・ソングとして発売されたもので、PVを見ると丸刈りのノエルが映っています。LIVEで演奏されることはあまりありませんが、演奏の際には最後にTHE BEATLESの「OCTOPUS'S GARDEN」や、DAVID BOWIEの「ALL THE YOUNG DUDES」が続けて演奏されることが多いです。

年が明けて1995年、oasis は2ndアルバムリリースに向けて着々と活動を重ねていきます。

まずは、4月に"Some Might Say"をリリースします。このシングルは表題曲はもちろん、3曲目にはギャラガー兄弟の見事な掛け合いが注目の「Acquiesce」が収録されています。当時のLIVEでは、オープニングのSE(「The Swamp Song」)の後に必ずと言っていいほど演奏されていた曲です。そしてこのリリースの後、オリジナルメンバーであったTony McCarollが脱退(正確には辞めさせられた)し、新しくAlan Whiteが加入します。ということで、新しいラインナップは以下の通りになります。

Vocal Liam Gallagher
Guitar Noel Gallagher
Guitar Paul "Bonehead" Arthurs
Bass Paul "Guigsy" McGuigan
Drums Alan White

そして、8月にはアルバムに先駆けて"Roll With It"をリリースします。当時イギリスでは、Brit Pop(ブリット・ポップ)なる、いわゆるギター・ポップ・サウンドが全盛期を迎えていて、oasis 同様、人気のあった(成功という点ではこちらの方が全然先)blurとの確執はメディアの格好のターゲットとなっていました。このシングルは、blur の"Country House"と同時にリリースされ、どちらが勝つか?と話題になりましたが、結局、2タイプ同時リリースをしたblurの方に軍配が上がりました。この辺の話はかなり有名なので、当時の雑誌などを見ると互いに罵倒し合う姿が顕著に見られてかなり面白いです。

話は逸れましたが、"Roll With It"には、カップリングに「Rockin' Chair」というフェード・インで曲が始まる(終わりもフェード)名曲があります。LIVEではあまり演奏されることがなく、コレクターズCDでも数枚でしか聴いたことがありません。また、このシングルには「Live Forever」のLIVEバージョン(1995年グラストンベリー←英国の有名なロックフェスティバル)も収録されていて、数々のシングルの中でもオススメの1枚です。
全英1位は逃しましたが、"Roll With It"リリースにより、アルバム"(WHAT'S THE STORY) MORNING GLORY?"の期待度は高まり、その期待を裏切らない世界的メガヒットのアルバムがリリースされました。
ここでも小ネタを幾つか。

まず、オープニング・ナンバーとして収録されている「Hello」ですが、この曲のサビの「Hello, Hello, ...」の部分は、同じイギリスのグラムロック・スターであったGary Glitter(本名はPaul Gadd)の「Hello Hello I'm Back Again」のサビそのものであったため、後のビデオ「THERE AND THEN...」などではきちんと彼の表記がされています。
8曲目に収録されている「Cast No Shadow」は、THE VERVEのフロント・マンRichard Ashcroftに向けたメッセージソングで、これがきっかけになったのか、彼は立ち直り、大ヒットしたアルバム"URBAN HYMNS"にも収録された「Bitter Sweet Symphony」「Drugs Don't Work」といった名曲が次々と生まれたという話は有名です。
2日で25万人を動員したKnebworth ParkのLIVEでも、Cast No Shadow の前に【(誇り高き)Wiganっ子だろ!】とリアムがボソッと言って歌い始めています。(Richard AshcroftはWigan出身です)

アルバム"(WHAT'S THE STORY) MORNING GLORY?"からは最終的に、"Roll With It"、"Wonderwall"、"Don't Look Back In Anger"、"Some Might Say"がシングル化されたことになるわけですが、他にもオーストラリア盤(HELTER SKELTERの紙ジャケ盤)では、"Morning Glory"や"Champagne Supernova"がシングルカットされています。
シングル"Don't Look Back In Anger"は、ノエルが初めてメインヴォーカルを担ったシングルで、LIVEでのサビの部分が大合唱になる曲ですが、このシングルの4曲目には、英国のSLADEの「Cum On Fell The Noize」(邦題は「カモン!!」)が収録されています。日本盤の帯にも書いてありますが、同曲は、QUIET RIOTも後にカヴァーしています。oasis が SLADE の曲をカヴァーするのは、この曲の他にも、オムニバスアルバム"1 LOVE"でノエルが演奏している「Merry Xmas Everybody」があります。 「Cum On Fell The Noize」は、"THERE AND THEN..."で聴くことができます。

1995年から1996年にかけてのアルバム"(WHAT'S THE STORY) MORNING GLORY?"周辺のリリース後、oasis は伝説的なLIVEを行います。

1つは、彼らのホームタウンであるManchesterのMaine Roadで行われた2 DAYSです(1996.4.27-28)。このスタジアムは、ギャラガー兄弟が熱を入れている地元チーム、Manchester Cityの当時のホームスタジアムで、この時のLIVEの模様は、映像作品「...THERE AND THEN」でも収録されています。
「...THERE AND THEN」で収録されている野外LIVEがこのMaine Roadで、屋内の方は1995年の11月に行われたEarl's Court(アールズ・コート)のLIVEになっています。

2つ目は、伝説のKnewbworth(ネブワース)公演です。1996年8月10-11日に行われたこのLIVEには、それぞれ12万5千人の観衆を集めました。ヘッドライナーのoasisはもちろん、前座として、The Chemical Brothers 、The Prodigy、The Charlatans、Kula:Shaker、Ocean Colour Scene、Cast など、当時のUKシーンを賑わしたアーティストが勢揃いしました。

Knebworth Park 1日目のラインナップ
Knebworth Park 2日目のラインナップ


この時の大合唱は、日本盤ビデオ「...THERE AND THEN」の初回盤に特典として付いていたシングルCD3曲から体感することができます。

なお、このLIVEでは、"Champagne Supernova","I Am The Walrus"に当時THE STONE ROSESを脱退して、次の活動の場であるTHE SEAHORSESが産声を上げた状態だった、JOHN SQUIREがゲストギタリストとして参加しています。唸るギターが炸裂!!しています。

※最近、Liam Gallagher & John Squire として作品がリリースされましたね

このようなベスト・パフォーマンスが相次いだoasisに対する新作への期待は想像を絶するもので、LIVEでも徐々に披露されるようになった新曲への過剰なまでの反応、話題は当時のNMEやMelody Makerだけでなく、国内のRockin'on、CROSS BEATといった雑誌でも毎月のように見ることができました。

1997年7月、アルバムに先駆けてシングル"D'You Know What I Mean?"が発売されます。イントロからよりスケールの大きくなった彼らのリスタートを感じさせる楽曲は、これまでの彼らのBRIT POPからの完全な脱皮とも言うべき、存在感のある重くて壮大なサウンドへと変貌しています。

このリードシングルを引っ提げてリリースされたのが、3rdアルバム"Be Here Now"です。このアルバムのジャケットには、左下に日付を示す数字が写っていますが、先行発売された日本盤と輸入盤では、リリース日が異なるため、写真の日付も異なっています。もし両方持っている人がいたらぜひ見比べてください。

"Be Here Now"は、あれ程の大成功を収めた2ndアルバム、大盛況に終わった巨大ギグの後ということもあって、もの凄い期待が寄せられていましたが、実際は制作期間も短く、メンバーが自分というものを見失いつつある時期と重なったこともあって、期待と仕上がりのギャップがかなり大きな作品となってしまいます。
実際、oasis節が炸裂している名曲「Stand By Me」や「Don't Go Away」「All Around The World」などが収録されていて、当然シングルカットもされるほどの楽曲も収録されていましたが、あまりに期待が大きすぎたのが本当に気の毒としか言い様がありません。

1998年は、リリースの面で主だった動きはシングルのカップリング曲を集めた"The Masterplan"のリリースがあります。oasis の良さはシングル曲におけるソングライティングの力だけでなく、リリースするアイテムのB面にも名曲が数多く揃っているということを証明するには十分すぎるアルバムです。

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