私ごと。


気晴らしに文章を書いていたら、随分長くなりました。
読むのもひと苦労かと思いますので、声を録っておきます。

私が作る動画の多くは、「特定の誰か一人に向けて」作っています。
掌編ゲーム実況やノベルゲ朗読は作者様に向けて「喜んでもらえるかな」と考えながら作っています。喜んでくれる人を確認して初めて、私の中で動画が完成して、満足感を得られます。最後は自己満足のためです。

一番最初の『余命ナイ』は友達に見せたり自慢したりするために作ってました。友達が観てくれなければ、動画の音量がおかしい事に気付くのは遅かっただろうと思います(PCが音量バランスを自動調整する設定だったので)。ただ実況するだけでは足りず、途中からオマケコーナーやら、漢字の解説やらを多めに取り入れたのは、友達が国語教師の息子で漢検2級持ってることが悔しいというか見栄を張りたかったからです。「俺でも読めないわ。オマケも面白い」と言ってくれたから最後まで動画に出来たのだと思います。

次に『アクイトアイ』という、昔遊んだ大好きなフリーゲームをアテレコ実況してみたのですが、友達から「途中で寝てしまった」と聞いたので、序盤でやめました。私自身、哲学遊びや面白い倫理観が好きな人間なので、『アクイトアイ』という作品に魅力を感じていたのですが、自分以外の人にとっては、それほど面白くもなかったようです。

こんな風に、「誰も喜んでいないや」と思った題材に関しては一気にやる気を失い、すぐに投稿を辞めます。だけど私は、もっと後になるまで、このやる気のメカニズムに気が付きませんでした。「自分がやりたいから始めて、自分が楽しいからやっている。途中でやめるのは、編集を凝り過ぎて疲れたり、単純に飽きるからだ」と思い込んでいたのです。

コンシューマ(switchとかPS4とか)のゲームをやろうとしていたときも、自分発信でやろうとしてました。『夜廻』『ゼルダの伝説 夢をみる島』『ポケットモンスターシールド』ですね。案の定、誰の為にやっているわけでもないので、最後までプレイすることはできませんでした。その時の私は「コンシューマはシナリオが長いから飽き性の自分には向いていないんだ」と推定してました。

だけどそう思っている中で『番外御役御免 二分之一』の存在だけがずっと謎だったのです。PART17まであって、動画時間は一本あたり20分を超えています。PVを3本作ったり、番外御役御免の話をしたいがためにラジオまで収録したりして。この『番外御役御免』の存在によって、「好きな作品なら長くても完走できる」と勘違いしていたのですね。

『BUT HORROR』の動画を上げたときに作者様側からコメントやフォロー、加えて作者ブログでの拡散までして頂いて、その反応が堪らなく嬉しかったことと、拡散のおかげで登録者も5人増えたので、「製作者様ご本人とコンタクトが取れそうな短編作品」を中心に題材を探すようになりました。『BUT HORROR』の宇宙鉄人(高田扶示人)さん以前にも『オカルト研究ラボ』の時計チクタクさんや、『リコリスを添えて』の霧氷こあさんにTwitterでコンタクトを図り、感想や拡散を頂いた経験も影響しています。

私は依然と「ゲーム実況をしているつもり」だったので「特定の誰かに向けて作ることを原動力としている」ことに気付いていなかったんですが、『尾の無い猫は夜に哭く』で作者の灰色さんと交流を持ったとき、灰色さんがあまりにもTwitterでいいねを飛ばしてくれたり、お話してくださるものだから、尾猫シリーズの『狐の窓』の動画を作ったときに、漸く気付いたんです。「あ、灰色さんに喜んでもらう為だけにこの動画作ってるわ」と。

そこから思い返してみると、結構な数の動画が、その原動力でもって作られていることにも気付きました。そして、その原動力が続いている限り、長編の作品でも最後までやりきることが出来ていたんだと気付きました。『余命ナイ』は友達の反応を楽しみに。『番外御役御免』は作者さんの反応も大きいですが(昔本アカだった方はフォローしてくれてたのに、こっちは未だにフォロー返してくれていない)、それより影響されていたのはノツカさんという、今は引退されたYouTubeラジオパーソナリティーの人が『番外御役御免』のアテレコ実況を、最後まで期待して待ってくれていたからです。結局、ラジオを録ったのもそのせいです(そのときは無意識)。

だからこそ私が向き合うべきは、決して「自分が面白いと思ったものを多くの人に見てもらうために、たくさん投稿したり、宣伝活動を行う」なんて、みんながやっていることではなくて、「最初から誰か一人の為に動画を作って、その人に面白いと思ってもらえるように頑張る」ことだと思うのです。

投稿ジャンルに一貫性がなくて当たり前なのです。だって毎回届ける人が違うんですから。How To YouTubeで「ジャンルを明白にしろ」「投稿頻度、動画本数を上げろ」「フォトナやれ」「ところ構わず宣伝しろ」「看板シリーズを作れ」みたいな指標は、私には待ったく関係なかったということです。女声講座を作れば、数千再生、数百人登録は固いのに、全く作る気が無いのは、「そもそも特定の人の為に作っていなかった」から。不特定多数のために作る原動力なんてありませんよ。

急に絵本を読んだり、久しぶりに連作のゲーム実況を投稿し始めたのは、もちろん、特定の誰かを喜ばせるためですし、その人を喜ばせる為には、たくさん動画が必要で、最後まで観てくれると信じられたから、嫌いになったコンシューマ(厳密には違うけど)で動画を作ろうと思ったのです。全然、苦ではありません。コンシューマ作品が嫌いになったのは、誰に向けて作れば良いかわからないのにイタズラに長い時間が掛かるから。観て貰えるなら楽しく作れます。

ところで、私の悪いところは、浮気が出来ないことです。「これやろう!」と思ったら、他のことがおろそかになります。事実今現在、『A Short Hike』をやろうとする自分を、力ずくで舵を切って、タヌキの動画を進めています。こんな文章書いていないで早く進めなさい。先月書いて頂いたシチュエーションボイスの台本も手付かず。作家が男性なので「これ読まれて嬉しいんか?」という感覚が拭い切れません。もちろん不特定多数に向けるなんて無理です。でもタヌキがひと段落したら、シチュボ録ってみます。

このような駄文に目を通してくださり、ありがとうございます。

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