変わる人生観

 何かしらアウトプットしたいのに、できない不完全燃焼感に駆られていました。こちらのアカウントの存在もすっかり忘れていましたが、ちょうど都合よくログインできたので、時々入力していこうと思う。

 さて平成23年、私は大学を卒業し、サブプライムローンに端を発し、リーマンショック、果ては卒業直前に東日本大震災と超絶売り手市場の氷河期に社会人になった私や同級生は就職に対し強く躍起になっていた。
 ただ、タイミングは運のようなものでもあり、私よりもずっと優秀なヤツが30半ばになった今もまだ正規雇用にありつけていなかったりする。
 
 そんなワケで私も入社後も必死で会社の和の中に入れるように、後年は中心にいられるようになんとなしに意識し、職場が席を設けてくれること、多くの会議やプロジェクトに声がかかる事をやりがいに感じていた。

 しかし、小規模短大の職員では、厳格な年功序列制で、また定期採用もなく、基本的に中途採用が多く、勤続年数<年功序列を優先する組織なので、抱えている業務量や責任、スキルが自分よりも軽い後年入社組の方が待遇が良いという不満を常に持ち続けていたが、長年仕えていると退職金か何かで優遇されると信じ、おおごとにしたくないこともあいまり働いてきた。

 しかし、近年中途採用の転出やいつまで経っても自分より扱える守備範囲が増えないいわゆる先輩たちにイライラ。さらに、勤続10年の現時点での退職金の額を知り、落胆。。。
 職員数は減り、年々国からの教育改革や実態調査を名目に多くの調査や監査が増える中、まさにサブスクで正職員を続けることが果たして正しいのかと疑問を感じる。

 それは、自覚症状を伴う体調不良が出始めたことから、給料に見合った働き方を意識するようにしているのだが、今日感じたことは「幸せとはやりたいことに打ち込めること」だと感じる。
 これまで、私はいろんな人からの退職の相談を受ける際、転出先が決まっていないのなら反対、転職先が決まっていたとしても待遇を現在と比較し慎重に判断すべきというスタンスを取ってきた。それはホンネとして、転出して、今よりも金銭的待遇に恵まれた方を殆ど見てこなかったことと、せっかく築いた自身の椅子は無下にしない方がいいと信じていた。

 しかし今、私は労働を続けても、親のようなゆとりある老後は到底送れそうにない。かと言って、高インスリン血症を持ち、強い頭痛を抱えて、今のペースで働き続ける事も寿命を削るのは目に見えている。

 私の労働から離れたいという考えはこれまであくまで理想で、そんなことは一生あり得ない夢物語だと思っていたが、退職金が当てにならない以上、新興国への転出や働かないで良い食える状況の創出を本格的に視野に入れ始めている。

 一度きりの人生は過ぎてしまうと短いものなハズ。自分を押し殺して努力し、晩年に自己実現が控えていた日本のサラリーマンのスタイルは政治不順に端を発す長引く不況や労働市場の歪さから酸素のない水に放たれた生き物のように息苦しい。

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