版権ビジネス全般に関して場末のゲーム開発者が思った事

いやー、書くかどうか非常〜〜に迷いました。

セクシー田中さんの件に関してではあるのですが、個別の事象にそこまで踏み込む意図はないです。

原作者の方がお亡くなりになったのは非常に痛ましい話ですし、恐らく事実であろうという事柄を断片的に繋げても、相当広い範囲で原作や原作者さんに対してリスペクトを欠いていたであろう事はほぼほぼ間違い無さそうだとも感じています。

ただゲームも最近はIPモノが増えていますし、僕は多分普通の人よりは版権ビジネスに関わってるんですよね。
その感覚でネット世論見るとちょっとそこは違和感あるなというところがあり記事にする事にしました。

大前提としてどっちに非があるかは明確

そもそも論としてはやはりドラマ製作サイドに非があるとは感じていて、特に「0→1」の部分へのリスペクトがクリエイティブな仕事に携わっているはずなのに随分と低いのだな、というのは驚きましたし、「みんなオリジナルを作りたいけど作れないから原作ありの脚本を改変する」発言などは身勝手過ぎて心底呆れます。

脚本家にもクリエイティヴな部分はあると僕は思いますけど、こめてる魂の重みの次元が違うというか、、、原作者さん的にはもう少しみんな善良で良心的に仕事してくれると期待されていたのだろうと思われて本当に気の毒です。

原作通りがホントに正しいのか

ただ、若干ではありますがドラマサイドにも同情してしまう部分もあります。

この件がというよりも広くIP付きのゲーム開発をする時の自分の経験に引き寄せていうと、

「原作通り」と言われても原作にここ書いてないやん、とか原作でも矛盾してますけど?みたいな事もままありますし、そもそもでゲームの場合ですと「オプションのUI」みたいなところに口を挟まれたりって言う事もあったりするんですよね。

こういうのに加えて、「それだとゲームにならないんですよ...」みたいな本来的に噛み合わない所とかもあったりするんですよ。
(すごい単純な話、このキャラは最強なんで負けないんですよ、とか仮に言われてもそれでゲームは作れなさそうじゃないですか)

やっぱりその媒体はその媒体のプロが作っている以上、原作をリスペクトしたとしてもここはちょっと変えさせて欲しいんですよね、というのは0ではないだろうと思うんですよ。
※今回の件での原作者さんはその点充分に留意されていたと思いますし、ドラマの改変はその範囲を越えたのかなとも思いますが

マナーとして、原作や原作者さんをリスペクトしようよ、というのは当然有りますし、ビジネス的にも原作ファンに好意的に受け止められないで成功する作品は少ないので、ビジネスで考えても原作はリスペクトするべき、というのがゲーム開発で言えば一般的な認識ではあります。

ただメディアミックス作品が模倣が上手くできていたか、という軸だけで判断するのは違うんじゃないでしょうか?

“原作の再現度も高いし''、''〇〇として原作知らない人からしても面白い''が理想じゃありませんか?

メディアミックスの意義


ちょっとわかりにくいかもしれませんが、抽象的なレイヤーの話にしたいのであえて記号にして話します。

Aという媒体でヒットした①という作品をBの媒体で作り直す。
というのはビジネス的には①という作品が好きな層とBという媒体が好きな層の両方にリーチできる。のがメリットですよね。

・最低限の市場として①もBも好きな層が当てにできて、爆死のリスクが軽減できる

・①が好きで普段Bに触れない層をBに取り込める

というB側のメリットがあるから作られるのは当然ですが、原作サイドにもメリットがあるからこそ行われるわけです。

・Bが好きで①に触れていない層を①に取り込める

というメリットがあるから原作サイドもGOするんですよね。

原作者はそもそもで断る権利はあるし推しの子見てると途中で止める権利もあるみたいなので、リスペクト云々はマナーの問題であって、本来的には原作者さんは原作者さんのメリット(コレで原作がもっと売れるだろう、みたいな)があると判断されたから承認した話なはずです。

今回の件は「聞いていた話と違う」というのは問題だなと思いますが、その媒体らしさ、を殺してでも絶対に原作に忠実にするべきか、といわれれば僕はそうではないなという派です。

結局はビジネス

今回の件は明らかにリスペクトを欠いていてマナー違反だなとは僕も正直思いますが、何かを変える事自体はやむを得ないとも思うんですよね。

尺の都合でエピソードの取捨選択等はほぼ発生するでしょうし、スポンサーの意向など、コントロールの難しい話もあるでしょう。

すごく意地悪な事を言えばコマとコマの間を補間するのは原作通りじゃないけどいいのかとか、間にCM入るだけでもユーザー体験って変化すると思うけどそれはいいのかとか、突き詰めればメディアミックス自体無理な話で、どこかは絶対違うんですよ。

こういう主観的な話をまとめてなんとか合意するために僕らは契約を交わして金銭のやり取りをするんだと思うんですね。

製作者が最も意識するべきは原作者ではなくユーザーと発注者

メディアミックスする側にとっての発注者ってテレビ局とか製作会社になるでしょうし、テレビ局にとっては広告出してくれるスポンサーになって、スポンサー会社は自社商品を購入してくれる視聴者になる、というのがお金の流れじゃないですか。

それを歪めたり拡大解釈する人もいるでしょうけど、単純にそれぞれの立場の人が誠実に自分の仕事に向き合ったとしてもこの流れに原作者さんって別に入って無いんですよ。

原作者さんはおそらく小学館との契約があり、小学館は日テレと契約するという流れだろうと思うんですけど、お金の流れは日テレから小学館へ、小学館から原作者さんへ、という流れのはずです。

代わりに原作を貸し出す。
その時に付帯条項がいっぱいあって、今回の件はそれが守られなかったのが問題。

今回の件は契約に含まれる付帯条項を誠実に履行したのか、という点で問題だったわけですが、
すごい極論ですけど、10倍お金払うのでドラマの内容に一切口出し禁止ね、という契約だったらビジネス的に問題はないじゃないですか。

製作サイドが原作リスペクトしてなさそうなのはマナー違反ではありますが、製作者からしたらそれで発注者がいいと思うならそれが仕事ですし、テレビ局からしたらスポンサーがそれでいいと思うならそれが仕事ですし、スポンサーからしたらそれで見合った宣伝効果があって売り上げが上がればそれが仕事なんですよ。

それをビジネスとして成立させてしまっているユーザーの問題でもある

ドラマ化や映画化ってそもそもこういう感じのこと多くないですか?
実写化にハズレが多いのはもともと周知の事実だったじゃないですか。
それは個別の案件の話ではなくてもっと構造とか文化の話で、日テレだけが、とか、この脚本家さんだけが、って言うわけではないので、それがそもそも良く無いんだと思うんですよ。

昔はゲームも版権モノってたいがいクオリティ低かったんですけど、最近はそうでもなくないですか?
それって単純にキャラゲー=クソゲーという認識が広がって手抜きした版権モノが売れなくなったからだと思うんですよね。

だから単純に言えばゲームのユーザーよりテレビドラマの視聴者が見る目無いのも良くないんじゃない?と。

歪なままビジネスが成立するからそれがまかり通るわけで、人が亡くなっているというインパクトのあるファクターを除けば今までもよくあった話なのでは?と思われますしだからこそ脚本家の人たちの当事者意識の低さというか他責的な発言なのかなぁと想像しています。

原作改変ひどすぎて面白くないから見ない、という選択がされれば、原作適当に改変して美男美女の恋愛見せとけばそこそこ視聴率出てスポンサーもつくしっていう企画は淘汰されるはずでネットで個人を燃やすよりよほど健全な方法で永続的にこういった悲しい事件が起こりにくい世の中になるんじゃないでしょうか。

逆に言えば別に原作通りかどうかは気にならないし、ストーリーもテンプレキャラが恋愛してるお決まりのやつが好き、それでテレビでCMしてたしで商品買う。
って人がずっとビジネス成立するレベルで存在するなら原作サイドの人は、それを前提に原作を貸し出すかどうか決めるしか構造的にはないと思うんです。

これは全商業エンタメに言えることで、ユーザーがいてそこでビジネスが成立するからそこにあるのでビジネス成立しないようにするのが一番健全ですよ。

大人の喧嘩は裁判で


本当に痛ましい話ですがちょっと原作者さんにも思う所が僕はありまして、死ななければいけなかったのですか?と...

裁判があったじゃないですか、と思うんですよ。
文章拝見する限り、そんな好戦的な方ではなく気を遣いすぎるほど気を遣う方のかなとはお見受けしたのでそういう選択肢は難しかったのだろうと理解してはいますが...

今回確かにドラマサイドに非がありそうに見えます。
見えますが原作者さんがお亡くなりになっているからこそ犯した罪以上に叩かれている印象も正直あります。

原作者さんのブログは本当に人の良さそうな文章で、僕が書いて来たような事も重々承知で、いろんな事を配慮しながら呑めることと呑めないことがあってギリギリで選択してきた事の結果が裏目裏目になって本当にやりきれなかったんだろうなと思えたんですけど、ある意味何度も蔑ろにされて自分や自分の人生に価値がないと思われての選択がここまで影響を与えるのであればご存命の時から助けて欲しかったのではないかというすごい皮肉な状況だとも思うんですよ。

気にしすぎかもしれませんが、「自殺したらこんなに騒いでもらえるなら自分も」という人を招きかねない感もあります。
※実際いじめを苦に自殺、とかはメディアで取り上げると増えるから取り上げない方がいいらしいです。

何も死ななくても普通に裁判した方がご自身にとっても社会的にも良かったんじゃないかなぁ、、、と思うんですよ。

これも個別の案件としては同情しますが選択肢としては間違えていたのではないか、という考え方は提示しておかないとそれはそれでおかしな話にならないかなと思い、非常に迷いましたが記事にさせてもらうことにしました。

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