Xモナリザ論

久しぶりにXを見ると、様々な話題で様々な炎が燃え盛っている。
そして、様々な意見と正義が飛び交う。
なぜ盛り上がるのか、バズるのか、話題になるのかをふわふわと考えていた。と、何気なく見ていた動画で話している男。超有名起業家の堀江貴文さん。いつもXでコメントする自分のアンチをこき下ろしている彼が、別の視点から意見を述べていた。
そこで話していた内容は、Xでは自分が言っていないことも言って、色々なところで批判コメントを言う。拡散していき、それが結果盛り上がりにつながるという感じだった。(正確なものは引用元を忘れたため、若干憶測など入っていますが、、)
それを聞いて思う。なるほど、勝手に見た人が想像して勝手に批判的な意見を考えて勝手に広めていくのかと。
それは、アンチコメントではなんだか良くないことにも思えるが、映像などのコンテンツを作っている自分からすると、とても大事なことだった。余白を与えて、相手に想像してもらう。コンテンツの幅が見た人の中で広がっていく。それは、自分の中では良い作品だと判断できる。
Xもそういうことで、短い文章という全てを明記していないという余白が相手に想像の余地を与えるのではないだろうか。モナリザのように

では、Xの中でそれは良いことなのだろうか?広がりやすいことはプロモーションなどとしては良い性質なのではないだろうか。ただ、Xでその想像の元となるのはコンテンツではなく、人の意見や考え方、howtoだったりする。つまり本来は千差万別、状況によって異なる。
しかし、想像の中だけで膨らんだ異なる考え方に、想像の中で腹をたて、余白を炎上させ、想像の中で反論を構成し、指先で相手に放つ。

つまり、相手の意見というよりは相手の意見の一部を拾って作り上げた自分の気に入らない意見の塊なのだろう。

自分がやばいと思うのは、その想像で補っている部分を自分の想像上の意見だと認識できておらずに、相手の意見も聞かないうちに批判的にコメントし、自分の正義を振りかざす「正義は勝つ」と思っている人たち。
相手にも意思と思考と正義があるなんて想像をしていない(のではないかと思われる人たち)。

意見を交わす気がなく、自分の意見が正しいと思えているということなのか、ただのストレス発散なのか、、、

余白を使って想像するのなら、自分とは違う意見・正義があることや新しい見識についてが良いのではないかなとさすがに思った。

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