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軽音楽部 を引退します

中学2年生の六月
4個上の兄の文化祭を見に行った。
思えばそこから私の青春は始まっていたのかもしれない。私はその時から音楽に執着しだした。

親に無理を言って兄と同じ高校に通わせてもらった。どうしても、ここの高校の軽音楽部に入りたかった。兄と同じ青春を追えると思った。

入部してから2年、私は2020年7月4日に引退する。

今思えば青春だけの言葉で表せられるような部活ではなかった、小学生の頃から言われてきた「仲間の大切さ」に気づけるような、その言葉を具現化したような時間だった。

私たちの学年の軽音楽部は良くも悪くも自我が強くて個性が強かった。そして全員がそれを惜しみなく、隠すことなく音楽に表していた。こんな素敵な15人と音楽を愛すことが出来て幸せだった。

私のバンドは元々スリーピースの予定だった。ベースボーカルなんて、私はなんて挑戦的なんだろうか、、

そこからキーボードで入ってくれたメンバーには救われた。彼がキーボードをやった曲は一曲だけだった。その後は、天才ベーシストとして覚醒した。

私たちの音楽を先生が聴いてくれたのは高校2年生の5月、遅咲きのグループだった。その日は先生の言葉をつまみにプリンを食べた。確かにあの瞬間は私たちが主人公だった。

高校2年生秋、リードギターが加入した。その後ももうひとつのバンドを巻き込んで色々あった。ほんとうに申し訳ない。

私たちのバンド結成時からの目標は

" 2年生で文化祭二日目に出ること ''
'' 高校3年生の文化祭のオープニングを飾ること ''

1つ目は死にものぐるいで掴んで離さなかった。決まった時は心の底から嬉しかった。

2つ目だって、私たちならできると信じていた。そんな思いなど簡単に蹴散らすような猛威が振るわれた。心底悔しかった。大切にしてきたはずの卒業ライブまで延期になった。

そんな時期でも先生は引退ライブをさせてくれる。それが2020年7月4日である。

トッパーはCITRUS、高校2年生はみんな知らない間に成長していた。CITRUSのボーカルはものすごく歌が上手くなった。
次はMs.contrail、rookie、lyricHolic。

私の知らない間に、知らない時間を過ごしている。まるで3年生がいなくてももう大丈夫だというように。

さて、3年生の番になった。私たちとは別のバンド、insertは今日も最高のライブをしてくれた。彼らに何度も迷惑をかけたし何度も話し合ったけど、まだそんなことを続けていたいと思ってしまった。

彼らのメンバーという曲はお世辞なしに天才だと思う。動画を送ってほしい。切に願う。何がこんなにも心を震わせられるのかはうまく説明できないけど、とにかく彼らの音楽には私たちにはない泥くさい魅力で詰まっている。彼らも同様に音楽を愛しているのだと知って涙が出そうになる。

そして遂に、私たちChanterの番になった。私はボーカルだけどMCがずっと苦手だった。今までのライブでもMCをろくにした事がなくてMCしない系バンド、爽やかイケメンカッコいい憧れる!系バンドを着飾っていたけれど、今日くらいはと思ったらほとんど私だけで20分は話していたんじゃないだろうか。申し訳ない。

一曲目はHumpbackの拝啓、少年よ

私が曲に込めている思いを20分も喋ったのに話忘れていたので、ここで話そうと思う。この曲は最初、うちのベーシストを思い浮かべて歌っていた。だが泣いてるところなんて見た事ないし負けっぱなしじゃないしと思ったら違うなと思えて、自分の歌にならない時期が続いた。そんな時高校2年生の11月、すごい2つの高校の軽音楽部と合同演奏会をして感化され、負けっぱなしなのはChanterそのものじゃないか、でも負けてられないと考えて、いつしかChanterのことを思って歌うようになった。
(ちなみにうちのギタリスト(女)が泣いている時に私は「あ〜もう泣かないで〜♪」と歌ったことがある)

2曲目はクリープハイプの he is mine

これは世界で唯一愛した元恋人を思い浮かべるしか無かった。あんまりこんな思いはしなかったけれど。

3曲目はヤバイTシャツ屋さんのハッピーウェディング前ソング

好きな先生が結婚していて、何度も結婚の申し込みをしているんだけれど息子の話や指輪を見せられて突っぱねられる。心底悲しい。

そしてラスト、これには私の想いを込めすぎている。込めすぎて爆発することがある。この引退ライブの前日に私はこの曲の想いで溢れて(加えてドラムが最後の部室での練習ダヨ!とか言うから)涙が止まらなくなって歌えなかった。

そう、Humpbackの生きて行く。

ドラムの方を見ると泣くとわかっていたのでやめた。あんまり見ないようにした。心を落ち着けて入りを歌ったら順調に進んだ。言葉を一つ一つ歌う度に喉の奥が締め付けられた。まだ、まだ泣いちゃダメだと踏ん張った。私は本番に強いらしいことがわかった。ドラムと2人になる所があるこの曲は、私とドラマーとの最高傑作だった。とにかく愛した今までの時間を抱きしめて離したくないと思った。

この曲に対しての私の想いは、一文一文に込められているから少しだけ割愛してサビだけ紡いでいくことにする。まず初めのサビである

「大人になればわかるって、そんなこともう分かってるよ」

これにはうちの問題児を思い浮かべたりもしたが、この愛していた時間が当たり前でない事が大人になれば分かるよと言われて、分かってんだよ!という気持ちで歌ってる。実際ほんとにわかってる。だから涙が出る。

続いてドラムと2人になるサビ

「ただ歳をとることが酷くつまらなく見えました」

これはこの曲の1番の肝であり、真理であると思う。ただ歳をとっていくことが、音楽をみんなと奏でることで酷くつまらないことだと思った。18年間のうち2年の歳を彼らととっていけたことが幸せでしか無かった。

そして最後のサビ

「退屈な毎日がやけに美しく見えました、ああ僕ら生きて行く、ねえ先生僕は今歌っています」

2年間追い続けてきた自分たちの音楽を彼らと奏でることがどんなに美しくて充実した毎日か、ああ。幸せだった。ねえ先生の時に私は先生を指さして歌ってる、指さしてごめんなさい、、(笑)それでも笑ってくれる先生が大好きだ。

ざっとこんな感じだろう。MCをアホみたいに引き伸ばしたのに言いたいことがあんまり言えなかった(何で?)から、それは2月まで取っておこう。

最後に3年生全員が一言ずつコメントを残していった時、うちのギターが「辞めたくなる時もあったけどChanterで良かった、ありがとう」なんて言うもんだから涙が止まらなかった。私が喋ってる時も何分も喋ったのにまだ喋るんだと私も思いながら泣いていた。ああ、幸せな時間だった。

そのあとはスペシャルゲストの37.2(insert +うちのリードギター)が今宵の月のようにを演奏して、解散して始めて喋って握手しているのを見た時私はまた泣いてしまった。とにかく良かった、嬉しかった。

とにかく時間を引き伸ばしに引き伸ばして最後まで迷惑をかけ色んな意味で印象に残った1日だった。幸せだった。2年間幸せだった。本当に愛しい時間だった。まだ全く実感がない。火曜日、そのまま部室に向かってしまいそうだ。

中学二年生の時の私が思い描いたものを遥かに上回る時間だった。これを青春と言わずしてなんと言うだろうか。とにかく最高の思い出が出来た。2年間ありがとうございました。



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