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議員の仕事というか、自分自身のキャパの話

こんばんは 今日は私の何回目かの誕生日です。何回目かは忘れてしまいました、、、(笑)。

は、さておき、朝からとっても素敵な時間を過ごしたのですが、「ふと夕方に泣きたくなってしまった件」を、自分の記録のためにも書き残しておこうと思いました。

何があったかというと、とある市民の方からいただいた議会改革への提案メッセージにどうやって返事をしようかと考えていたら、なんだかどうしようもなく辛くなってしまったんですよ。

どうして辛くなったのか?を、ちょっと時間をおいてクールダウンししてみて考えたら、要するに自分のキャパオーバーを感じたって事でした。こういう事も大事だと思うので、この事について忘れないうちに記録しておこうと思います。かなりパーソナルな事になってしまいますので、興味のない方はここで読むのはおしまいにしてくださいね。


議員になってほぼ1年、4回の議会を経験しました。

そこで学んだことはいっぱいあるのですが、今回の議会でも思ったのが「議会で議案を通すという事は、多数決」という当たり前と言えば当たり前の事です。そしてその多数決に至るまでには、人間という常に変化していく方々への働きかけになるのですが、議会は少数派の集合体なので、正しい事を言っていたら人はついてくると仮定したとしても、その正しさの物差しがそれぞれに違うという状態なんですよ。だからこそ丁寧に説明をし、理解をしてもらっていく事が、多数に賛同してもらうためには絶対に必要です。また、AIとかではなく生身の人間の集まりだからこそ、正しい事であっても「誰が言うか」も結構大事になってきたりもします。そこはこうあるべきという理想もありますが、ドロドロとした現実もあると言うのが的確な認知だと、私は考えています。


さて、今回の議会(令和3年2月議会定例会)では、離婚・別居後の子どもの権利を守るための請願の紹介議員をさせてもらいました。他の議員の方には事前の説明や相談(根回しという表現はどうかと思いますが)をさせていただきましたし、請願の内容の精査や説明用の添付の資料の準備という事務作業もありました。もちろん請願を提出された当事者の方々との会議や業務連絡、その前に学習会の主催や、国会議員の方を講師に招いた勉強会への参加など、議会前の準備にかなりの時間とエネルギーを費やしました。私だけが頑張ったと言いたい訳では決してなく、裏方として議会事務局、それから請願が提出された後には議長や、付託された委員会の委員長、採択後には発議をしてくれた議会運営委員の委員や委員長など、様々な方々の働きがあり意見書が採択されるまでにいたりました。その間には何回もお礼を言わせていただきましたし、たった一枚の意見書であっても、採択されるまでの過程があり、そこには多くの方々の思いや働きがあると知る事が出来ました。

また、一般質問については、ある記者さんと話をした際にその方が「卒論を書くようなものですからね」と言っていましたが、本当にそうだと思います。まあ、文献に当たる労力は卒論ほどではないですが、準備の間はずっと頭の中でセンターピン(課題を解決していくために何をしたらいいのか?の真ん中にあるもの)を考え続け、明け方近くにふと目が覚めた時に「ああ、これだ!!」って閃く事があったりもしています。(これは脳の機能の何かだろうと思ったりしてます)。その他、有識者や当事者の方へのヒアリング、担当課との調整、場合によっては他市の事例を教えてもらうなどを経て一般質問が出来上がるというのが、これまでの私の準備のプロセスです。

何が言いたいのかというと、私がメッセージをいただき泣きたくなった理由は、「もうこれ以上、取り組む課題を増やしたら、いろいろと中途半端になってしまうかも。そう言う事にはしたくない」って感じたからだと、今にして思うんです。

加えて「どうして私なの?」って思った事も大きいです。例えて言えば、オーケストラに参加して、私自身は自分の楽器はこれとこれって決めていたのに、別の楽器も担当しろって言われて、戸惑ってしまったんですよね。
その自分には出来ないと思えた理由が(1)自分は別の楽器を熱心に練習してきたし、他のメンバーがその楽器を担当するだろうと思っていた(2)そもそも同時に二つの楽器の演奏をするのは不可能 だから。(その時はそう感じたと言う意味ですが、、、)

要するにその時点ではキャパオーバーを感じたという事で、その辺り「もう無理です」って言ってしまっていいのかどうか?について、もうすこし考えてみようと思います。


あと、これはもしかしたらいつか立候補をされて当選される若手や女性の議員ためにも、書いておこうと思いますが、これをやったらどうか?と言うアイデアが議員に持ち込まれる場合には、大きく二つの側面があります。

一つ目は、案に同意して欲しいけど、今すぐにやってもらいたいって思っていない。どちらかと言うと「アイデアに賛同してほしい」場合。

もう一つは、こういうことで困っているから、できるだけ早急に何かをしてほしい。課題を解決してほしい、と言うケース。

こちらを見分けるのは、「当事者(当事者に近い支援者も含めて広義の意味で)かどうか?」か鍵ではないかと感じています。

アイデアに賛同して欲しい場合には、最終ゴールではなく手段を主としてお話が持ち込まれる場合が多いです。だからこそ私が、今回は本当にそれをやるのは私なのか?という疑問を感じてしまったわけですが、持ち込む本人も解決ができるだろう議員よりも話しやすい議員に話をしたいという気持ちもわかるので、結局SNSで繋がりやすいとかそういう理由でたまたま私が選ばれてしまったんだろうと思います。

実際の問題解決が目的の場合は、問題解決が目的なので、解決手段は私に一任されることが多いです。この辺りは議員として課題解決のアイデアが持ち込まれるという体験をしてみて一番の違いだなあと感じています。

手段を提示された時に「それは私のやり方ではないし、それを私がやっても上手くいくとは思えません」と、私が明瞭に言う事を躊躇してしまう事にも問題があるのではないかとも思いますし、もしかしたらそこにはジェンダーやミソジニーの課題があるのかもしれないと、最近ふと感じたりもしています。

そんな訳で、議員としての葛藤もあったり凹んだりもしますが、それでもせっかくいただいた機会でもありますので、揺らぎながら、行ったり来たりしながら、やって行こうと思っているところです。



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