あり方とやり方の違いなんじゃないかな、、、と思っていること。

こんばんは 御前崎も梅雨入りしましたね。今年のこれまでの雨は梅雨って言うよりもスコールみたいな感じですね。気候が変わってきているのかとも思います。

さて、数日前の6月15日に一般質問した内容が、翌日の静岡新聞の地方版に掲載されました。私の質問というよりは、市長の答弁が割と大きく掲載されたと思います。地方版へのリンクはこちらです(←ここをクリックしてください)

それでその前の日(6月14日)の市長の答弁と矛盾するのではないか?という疑問をSNSで複数個見かけたので、忘れないうちに私の考えを書き記しておきます。

まず私の考えですが、私は矛盾するとは思っていないです。なぜなら私の質問と、その前日の別の議員の方の質問は、そもそも同じ性質の内容ではないですよね。どう違うかというと、私は「あり方」、もう1つのものは「やり方」を聞いていると思うんです。

私の一般質問の内容ですが、報道された中になかったのは「若い人たち」というキーワードです。誌面の関係上でしょうがそこは「市民」と書かれていました。私は質問の中で、具体的に30代、40代、50代前半と表現したり、次世代と表現したりしました。比較的若い世代(御前崎では65歳以上の方々もお元気に、現役でまちづくりを担って下さっておりますので、私が指定した年代も「若い衆」と呼ばれています)が「学び、考え、意見交換する場」についての質問です。

私の質問と対比されている、別の議員の方の前日(14日)の一般質問と市長のお答えの記事はこちらです。黒い星ををクリックすると『御前崎市長「市民意識調査で再稼働問わない」浜岡原発巡り答弁』という新聞記事のウェブ版に飛びます。市民アンケートについてのご質問でして、市長は「そもそも意識調査にそぐわない」というお答えでした。

私が提案したかったのはプロセスであり「あり方」ついてなんです。あり方を焦らずにじっくり創っていく、その1歩を始めることが大事だと思ってのことです。次世代が学び対話するプロセスを始める必要があると考え、そこを提案しました。何かを判断するために限定されたものではなく、まずは学んでみよう、話してみようというやわらかいものをイメージしています。この提案について、市長は「次世代を担う若い方々には自分事として考えていただくことは非常に重要なこと」という前向きな答えをしてくれました。

「あり方」は、木で言えば根っこの部分。内側の、見えないけど大事な基礎なんです。そこ(あり方)がしっかりとヘルシーであることがあってこそ、やり方=見える部分が活きてきます。どっちも大事なんですが、やり方が整っていてもあり方が整っていないと、脆いものになってしまいうと私は捉えています。

やり方については、あり方が整っていけばその時に即した「やり方」も自然と出てくるだろうと楽観的に考えてもいます。

たとえばアンケートでなくても、ミニパブリクス(無作為抽出された市民が対話する熟議形のもの)や討論型世論調査など、より丁寧に意見を聞いていく「やり方」も既に存在しています。将来的にはデジタルをより活用したやり方も出てくるでしょう。子どもがいる親に子どもの人数分票数を増やすやり方(ドメイン投票方式)とかもあります。

このように、いろいろなやり方が存在するので、今の時点で何かに絞り込む必要はないんじゃないかと私は思っています。だからもし私に今アンケートどう?とか、住民投票どう?って聞かれても、私だってあまりやる気のないような返事になってしまうと思うんです。

そんな訳で、そもそも2つの異なる角度からの事ですので、それに対しての市長のお答えに温度差があるのは自然な事だとも思っています。


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