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それを私はスティグマと呼ぶ

こんばんは 今日もお疲れ様です 暑いですね

これ書くなら、別の仕事をしろって思う方もいらっしゃるでしょうが、失礼します。でも実はとっても大事なことなので言葉にさせてください。

最近、私のFBの方に、私が書いた記事とはあまり関係のないコメントを突然書き込んでくる、大抵は私の暮らすまちの住民ではない人たち(複数)がいます。

その方々の主張は大抵共通していて「御前崎市議会は何をやっているんだ!!」ってこと。あと「御前崎市議会は〇〇を問題にしなくていいのか?」で、◯◯はその時々によって変わります。

そういうコメントを、私が書いた例えば子育てのほのぼの記事とかに入れてくる感性にも驚きましたが、それ以上に何故にリベラルを自称しているような感じの人たちが、このような内容を書いてくるのか?が、正直よく分かりません。リベラルって言っていいのか?はありますが、多分その人たちに「民主主義って大事ですよね?」って聞けば「当たり前」って言いそうな方々です。

最初私はその方々はうちの市民かと思ったんですが、良く見たら他市の方が当社比75%で、残りがまあ市民だけどずっとここにいたって訳じゃなさそうな人たちでした。

で、なんで他市の人がわざわざ絡んでくるんだろう?って不思議な世界だなあって思って、ちょっと丁寧に(丁寧にと言うかはそれぞれの見解があることは承知の上で)絡み返して気づいたのは、結局のところ、そこにはスティグマがあったんですよ。はっきりと言葉にするならば「御前崎なんてダメなまちだ」ってスティグマ(=刻印)です。本人が自覚しているか無自覚かはさておき、そう言う先入観を持っているからこそ、話をぶった切ることをしても許されると思ってしまえているわけです。そしてそれに対して私がNOと言っても、何故嫌がっているのか?が、本気でわからない様子だったりします。それくらい根深いなあって思います。
自分は正しいことをしているって思いから「マウント」を当然のようにしてくる。そしてそれを私が理解したり、共感したりするのが当然だと思い込んでいらっしゃるわけです。

私はそれ自体をとても危惧しています

何故かと言うと、私がここで我慢していたら
同じことを我が子たちにやられかねないからです。
それだけは、何としても避けたいって思っているんです。


私が暮らすまちには、確かに課題があります。

それはホントに大きな課題で、1世代では解決できない課題です。だからこそ、焦らず丁寧にやるしかないって思っているし、私も派手な動きだけでこの問題を解決できるとは思っていないので、自分ができる最適解を探しているところです。ゴールは同じでも、辿りつき方は何通りもあることでしょう。


今日、とても私が悲しくかつ憤りを感じたのは、私を褒めると言うカタチをとって他の議員を批判するコメントが投げ込まれたからです。それも最初の記事の内容は子育てほのぼの記事だったにも関わらず。

私は、私を褒める事を使って他者を批判する事をされても、全く嬉しく感じません。そもそも私とその方々もそれぞれに政策も主張も異なっている訳で、比較することはあんまり意味をなさないと思っています。むしろ先述した不適切なマウントやスティグマの発露に利用されたと感じていて、ホントにそれはイヤなのです。子どもみたいで大人気ないけど、そうやって例えば兄弟がいたとしてお兄ちゃんを褒めながら弟を貶すような親にだけは絶対になりたくないって思って来たし(◯◯ちゃんはできるのに、なんであんたはできないの?って言われても、私は◯◯ちゃんじゃないしね、、、)そんな意味のない比較のために私の活動を引用されるのは真っ平御免ですし、この見解を譲歩するつもりは全くありません。

なので、私の個人のFBという場所で他の議員の批判は控えてくれませんか?とも書きました。私がそう書いたご理解はいただけなかったようで、あなたのことを批判しているわけではないと言う返事でした。私は私を批判されてないことくらいは当然わかった上で、私をダシにされて他の方々をテキトーにまとめて(それこそ十把一絡げで)批判するそのやり方を危惧していたのですが、残念ながら私の表現力が足りなかったからかそもそも理解するつもりがなかったのかは知りませんが、理解してもらえなかったようです。

議員全員がそれぞれ選挙に挑み、住民の皆さんから票をもらって激戦の中で当選を果たしたのだから、今後どんな議員活動の方法をしようと主張をしようと、支持した住民が一定程度いると言う事実を尊重すると言う意味で、その方の活動をレスペクトすることこそが議会制民主主義ではないでしょうか? あなたにとってはダメだと思える議員でも、誰かにとっては支持に値しているという事実を認めるところから始めませんか?どっちがだけが正しいのではなくて、どっちも正しいのです。活動方法も含めて。

議会に議員が多数いるのは多様性を尊重するからだとも私は捉えていて、
多様性の尊重とは、自分と異なる意見があったとしても、当選したと言う事実=その方を支持した住民が一定数いたという事実を、最大限尊重しあところから始まり、だからこそ最終的には議会は表決(多数決)がされるわけです。

私は昨年の「住民投票で行こう」という活動に関わった時にも、どんな結果になったにしても、そこを尊重しようと心に決めていました。だからこそフェアに賛成も反対もどちらの広報物をできる限り掲載したり、対話集会を開いたりもしました。それが民主主義の実践だからです。一緒に活動をしてくれたお母さんたちもこの考えを持っている方が複数いらっしゃいます。そういう人たちのいる御前崎というまちに希望を持ったからこそ、立候補を決意しての今があります。正直、選挙は人生で一回きりでお腹いっぱいと思っています。このお母さんたちの動きや思いや願いを知っていて一緒に頑張って来たからこそ、そこをあんまり知らない市外の方々から「御前崎市議会は何をやっているんだ」とか「御前崎はダメだ」のように、イデオロギー的だったり上から目線で来られると、本当に悲しくなるし、憤りを覚えます。きっとそこはずっと闘って行くのかもしれません。
 
ほどほどにしたいとは思いますが。


ここまで書いて来たことをまとめます。
私が危惧したり、イヤだと思っていることは、(1)このまちへの無自覚なスティグマやマウント(2)議会制民主主義への軽視&議員への拙速なレッテル貼り です。そして、そこに私自身の活動が巻き込まれるのは本当に真っ平御免ということです。 




 

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