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英語教室も10年になりました

おはようございます
今日はちょっと個人的な事からはじめさせてください

細々と続けてきた児童英会話教室も、気づいたら満10年でした

スタートした当時小学校1年生だった生徒さんが、来年は受験生(今は高校2年生)

よく言えばマイペースでやっているので、自分にしてみると気づいたら10年なんだ?という感じです

それでも、母の葬儀の翌日に、叔母たちに今日は英語教室だからと浜松から御前崎へと帰ってくる道中の景色ことはなぜか思い出せるし

やんちゃな男子くんが玄関を開けて入ってきて「あのさ、ここはあなたのお家じゃないんだからね」って話した事とか、通ってくれた生徒さん一人ひとりの当時の様子はいまでも思い出せます 
 
私が教育をはじめたときからも、学校での英語教育が変わっていますし、教育そのものも例えばタブレットが導入されたりと変化の途中にあると感じます。大学入試についても(これはそれぞれの大学にもよるでしょうが)それなりの変化も感じています。一言で言えば、学校での英語教育もどんどん良くなっています。

その上で、実は子どもたちのここが課題と感じているのは、英作文を書くために必要な基礎力としての日本力、思考力です。

例えば英検での「春と夏どちらが好き?」という問いに理由つきで30文字程度で回答するような問題があり、なぜ好きなのか?を説明しなければなりませんが、そこを英語で書けないのではなく日本語で考えるクセがついていないという傾向があります。
 
これは昔の私が発明した言葉を使うと「whyの嵐」に慣れていない状態です。

私は20歳のときに「第2回世界青年の船」という日本政府の事業に参加しました。世界の12ヶ国(くらい)から招聘された青年と船で世界を旅するプログラムでした。最年少の田舎から参加した私が最初に驚かされたのはルームメイトをはじめ外国青年かwhy?を何度も聞かれた事です。あまりに多く嵐みたいだったのです。その度にbecause(なぜなら、、)と答えるのはとても大変でした。最初は戸惑いました、でも文化や宗教などの違いがある多国籍な中、相手を尊重するためにはwhy?と相手の考えを聞き、理解を重ねるのは不可欠でした。
 
 
日本では春と夏どちらが暑い?という質問だったら即答できるのですが、「あなたは春と夏どっちがすき、それはどうしてかも教えて?」という質問には答えるのが難しい傾向が子どもたちにあるのだとしたら、それは大人たちがそういう会話をする機会が少ないからだと私は思っています。
 
学校はいつか卒業していきますので知の領域を学校だけに担ってもらうのはもともと無理なこと。だからこそ、地域のスポーツや芸術活動があるように知的・哲学的な活動を支える場所も必要だと私は思うのです。

「ここでは思い切り自分のペースで勉強できる」「難しい事を言ったり聞いたりしても、そんな難しい事を話すなとか言われないで、むしろ楽しく会話する相手がいる」ウチの小さな英語教室が、そんな場にもなればいいなと思っています

先日ある保護者の方から「うちの子は、先生の所だから通えたと思う」との言葉をいただきました。
CMのような素晴らしい場所ではありませんが、御前崎の宝である大切な子どもさんの個性やペースを大事に、何より「学びたいという意欲」を大事にしていく場にしたいと思っています。
 

 

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