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エロかぶりでいこう。

小学生の頃の僕は、体育の帽子や野球帽のツバを頭の後ろにまわして被っていた。その方が空気抵抗が少ないから速く走れると思っていたし、なにより、その方がカッコいいと思っていた。それが通称「エロかぶり」といわれる帽子の被り方だということを知る日まで。

エロかぶりしてるアイツは「カッコつけマン」。影でそう言われてることを知ったときはショックだった。すぐに辞めたが、そんな帽子の被り方は一例で、他者との違いを好み、なにかと周囲から浮いて目立つ僕はクラスの無視すべき対象となる。当時のイジメというのは、暴力でなく「シカト」という陰湿で排他的なものだった。田舎のムラ意識の強い小学校だったからかもしれないし、他者からみて本当に自分は変なヤツで受け入れ難かったのかもしれない。

「普通でない行動は良くないんだ。」と、それから随分と長い期間、まわりと同調することに敏感な性格になってしまった。みんなが好きな遊びに倣い、できるだけ目立たないよう細心の注意をはらって、"普通の"青春時代を過ごした。

父親の他界で不安定な家庭になり、大学受験や就職活動といった機会を逸して、なんとか学生生活や社会生活に転がり込んでからは「普通の暮らし」を手に入れる事に必死だった。バイトの叩き上げから、サラリーマンになり世の中の常識を知り、組織に属し昇進昇給し、ちゃんと利益を上げ会社や社会に貢献する一般的な「社会人になる」には何年もかかった。「慣れる」かもしれない。

ましてや自分の力量で仕事を生み出し、期待に対する価値をつくる自信がつくとともに「この世に"普通"なんて存在しないかもしれない」と気づくにはさらに何年もかかった。

長年かけて、普通であり常識的であり一般的であることに精一杯向き合ったことで、社会の要求に真っ直ぐ応える術は身に付いている。けれど、ここ数年は平準化された一般解よりも、常識を凌駕した仕事内容を求められるようになってきた。ずっと追い求めてきた"普通"が本格的に幻想になりつつある。

いま自分に必要なのは、帽子のツバを頭の後ろに回し続ける勇気。自身の思考や感性をちゃんとのせること。他者がなんと言おうとカッコいいと思うこと(ただし見た目だけでないカッコよさ)を自信をもって表現するチカラ。

家族や仲間たちは、もう何年もそうやって生きてきたじゃないかと指摘するかもしれない。でも、ことあるごとに僕は帽子のツバを真正面へ向けてきてしまってたのだ。自分の本当の思いとは裏腹に。

エロかぶりでいこう。

37歳になった抱負として。

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