春のアイドリングタイム

予定通りスタートしないとき、頭に思う浮かぶ光景がある。

いまから36年前の初夏の土曜日の夜、いつものように「8時だョ!全員集合」を見るためテレビの前に集合していた。
定刻の20時、画面は真っ暗なステージにいつものタイトル字幕だけが踊る不気味な光景が流れた。
次第にざわめく会場の音声が流れ、懐中電灯に照らされたいかりや長介の顔が出てきた。会場の照明トラブルとのことでひたすら復電を待つ状態。
10分近くなって加藤茶の「電気戻ってきたよ~」の声と共に薄明かりが灯り、会場が拍手に包まれた。

年齢が一桁だった当時の私にとって待つこととは、あらかじめ決められた期限やゴールに向かって待つことと思い込んでいた。
決着点が見えずに待つことを認識したのはこれがはじめてだった。

そして2020年。
ただでさえ人為的理由による変則日程の年なのに、人類史上何年ぶり何回目の登場なのよ?という事態に陥っている。
とにかく動かないことが必勝法なので古葉竹識監督のように「耐えて勝つ」の精神で待つしかない。
実際のところ「勝つまで耐える」なんだろうけど。

長野の片田舎とNPBのある大都市ではピリピリ感が違うと思う。
それこそ正気を保つために野球のことを考える、なんてレベルまで来ているのかもしれない。

片田舎にいる今の私に野球の位置づけは、いうなれば「空白の一日」だ。
球界のために自分ができることは何かないか?とヒリヒリするでもなく、早く喪が明けないか!とジリジリするでもなく、ただダラーンと真っ白に待っている状態。世の中が「そろそろいいんじゃないの?」という雰囲気になったら、一か月ぐらいミニキャンプやって開幕かなぁと薄らぼんやり考える程度。

やはりバシッとスタート時期が決まらないとスイッチが入らない。
野球選手が開幕に照準を合わせるように、見る側だって開幕に合わせていたのだ。

でも、これだけは言える。
その日が来たら、あの日のカトちゃんのように「野球はじまるよ~!」と朗らかに声を上げ、あの日の会場の子供たちのように拍手で選手を迎え入れる。

その日に全員集合できるようにしよう。

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