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あまえてる場合ですよ?

 ちょっとね、いくつか思うところがありまして。
 思いつくまま気の向くままに「記録」しておきます。

 たぶん、おそらくなんだけど、「数年後の私」が必要とするんじゃないかな。とかね、もうなんの根拠もなくて冷静になって客観視すると自分で自分が恥ずかしいレベルなんですが、まあ、そもそも素直に生きるって恥ずかしいことだらけなので別に気にしてもいいかな。

 気にしつつも、気にとめない。よくわかんない。では!


長くなったので結論を先に


これからも、よろしくお願いします!


目標日時設定、はじめました。


 自分のペースが、つかめました。

 錯覚かもしれませんが、それならそれでいい。

 重視しているのは、「うん。このペースでならイケソウだぞ」という感覚です。

 現在、私はノベルバさま小説を投稿しています。

 

 
 なかにはもあります。



 ジャンルで「詩」という感じになっていますね?

 ほかにも登録している投稿サイトがあります。

 最初は、「とにかくなんでもいいから、はじめちゃえ」っていうノリでした。そのノリが通用しなくなったというか酔いが醒めたみたいになって、気づいたら「登録したと思ってたが未登録」「投稿する予定が未投稿」など、もはや自分で管理できるレベルじゃなくなっていたようです。

 自分で管理できるレベルじゃない。その証拠に、

 「おれ? おれなら、いつだってできちゃうぜ!」

 という強気な自分を自覚できます。

 いつだってできちゃうとか、いつかできあがるんだからねっていう感覚が日常化すると、気づいたらなにもしていないっていう現実が待ち受けていたりします。

 音楽やってたときの私が、まさにそう、それです。

 音楽やってたというのは、バンドです。作詞してました。

 かろうじて、作詞とはいかないまでも走り書きを記録し続けてみたっていうのが、こちら。
 すなわち、ブログです。

 これ、なにがどうあれ、やっておいてよかったあ。

 と、われながら自分に対して「よしよし」ってしてます。

 ブログはじめるとき、なにをどうやっていいのかわかんなかったけど、とりあえず見切り発車でろくに改善してこなかったけど、ふとしたときに、

 『ああ。
  おれは、こうやってポエムつづって、ぽえってるのが好きなんだな。
  あのときは、そうか、こんなことを。
  そういえば2014年って超多忙だった頃だよな』

 とか、他人から見ても社会的にもどうでもいいことだらけなのですが、私にとってはむちゃくちゃ助かるーっていう安心&安堵で胸いっぱいなのですよ。

 自分で自分をどうにかできてるときはどうでもよくても、ほんとうにもうどうすればいいんだよこの状況っていうときには、「過去の自分」が色々と教えてくれます。不思議な感覚ですが、ある種の信号というか羅針盤的な。

 生きるので精一杯、ごめんなさい。っていう時期には、「文字をつづる」ことがどうにもできなくなってしまいました。
 言葉を武器にしてきた私が?
 生まれたときから「息を吐くように嘘をつくポエムを歌う」ってしてきた、この私が。
 いざとなったら手紙を書こう、手紙で相手に伝えよう。そんなことを、これっぽっちも疑わずに自然に自信たっぷりに生きていた私が…

 言葉どころか、「文字」そのものを書けなくなっていました。

 いま振り返れば、それは、ほんの数年間です。

 けれど当時は、『もう二度と…だめなのかなあ』っていう感覚。いや、そんな感覚にひたっていられるのも、一日に数秒間程度だったんじゃないのかなっていうくらいに、いろいろ精一杯で目一杯なていたらくでした。

 いまも、ほとんど変わらないです。

 きちんとお礼を伝えたい相手に、手紙を出せないままでいます。

 けど。

 ちょっとね、もしかしたらね、って。

 未来を予測できないというより、未来を予測するのが恐くてしかたなくなってしまっていて、とにかく今日をなんとか生き抜こう、そのうえで明日を迎えて迎えられたらまた1日なんとか生きて(略
 …な、感じでしたが。

 気づいたら私は、

・こんなことをしたい
・こうゆうふうになりたい

 と、イメージを思い描くようになっていました。

 登録済みのサイトのプロフィール欄には、「準備中」としていましたが、

・2024.7.21.投稿予定

・2024.10.21.投稿予定

 というように、具体的な日程を書いています。


 なんだか、やれる気がするのです。


 実際やってみてダメならダメで、その結果を受け入れます。
 ただそれだけのこと。
 それだけのことなんだから、気負わずにいってみようよ、おれ。

 っていうことで、自分で自分をあまやかしているありさまです。

 あまやかすと人間どうなりますかね?

 私は体験的に実感しているのですが、放置よりはマシですよ?

 厳しさと優しさは表裏一体です。
 言い換えると、優しさを伴っていない厳しさは凍傷を招くだけですし、厳しさに裏付けられていない優しさは歩道をはみ出して車道を歩かせるようなもの。
 つまり、意識するまでもなく、生きてるってことはそれだけでもう自然に表裏一体になっちゃっているのですよ?

 『優しい』『厳しい』どちらがより強い印象を与えているか、の違いだけです。

 

世界でたった一人の自分に


 宇宙の采配は、まるで恵みの雨のようです。

 うるおわせて、成長させて。
 
 なのに、土ごと引っくり返して流し去ってしまったり。

 理不尽としか思えないことも、多々あります。

 その一方で、

 『ああ、あのときのアレは、いまこうしてなんとかやっている私にとっての糧だったのだなあ』

 とか。

 なにがさいわいか、わからない、わからないけれども、こうしていられるのは、まぎれもなくさいわいだよな。

 って、思います。

 っていうように、いま書いているこの文章があなたにとって「???」であったとしても、この「記事」の最初の一文字さえ打てなかった数年前の私からすれば大進歩です。そんな大進歩を目の当たりにできた私は、まちがいなくラッキー&ハッピーです。

 このラッキー&ハッピーを、どうにかもう少し伸ばしたい、拡大したい、増やしたい、と思うようになりました。まぎれもなく「欲」なのでございます。

 しかも、できることならシンプルな増やし方から一歩進めて、複利で増やしたい。そう考えるようになりました。

 わけのわからないままスタートした小説執筆が、自分にとっていまや再起と回復の象徴となっていることに、ようやく気づいたのですよ。


 私が小説を書いていて、ほんとうにありがたいなあと感じるのが、同じように(いやレベルは全然違いますけどね?)小説執筆すなわち広い意味で創作活動をしているひとたちとの、ひとこと、ふたこと、なにげないさりげないコメントやリプなのです。

 ほんとうに、ありがとうございます。

 私の相手をしてくださる寛大な心に、心からの敬意を表させていただきます。

 読ませていただいた作品すべてにコメントしているわけではありません。コメントを書こうとしても書けないこともあります。義理では書けない、それが現実です。

 私がというよりもむしろあなたが作り出した世界が素晴らし過ぎて、私からコメントを引き出してくださっているのですよ。感動で胸をふるわせ、感嘆で息もたえだえな私から、すーっと自然に「コメント」という吐息を出させてくれているのです。

 自分が書いたコメントを読み直して『え。おれ、こんなこと言えちゃうんだ』と驚くこともあります。あきらかに、自分で書いているだけの孤独な作業のときには出てこなかった言葉や言い回しに、自分で自分に驚いているのです。うはー。


 私は自分から声をかけるのが好きです。得意といってよいでしょう。天賦の才なんじゃないかと思います。だって、

 基本、私に興味をもって言葉をかけてくるひとなんて、いませんから。
 学生のときもそうでしたねー。へんな勧誘とか、詐欺まがいのなにかとか、話題になったり『警戒しろよ』と言われるような話ですら、ほとんど私には来ませんでした。エアです。
 内心、当時の私は『来るなら来い』って思ってたんですけども。

 でね。

 群れるのが好きで誰かと一緒にいたくていたくてしかたのない私は、自分から「やあ」とか「こんにちは」とか、あいさつしたり声をかけたりする人間になっていたわけです。
 なんにもしないとさほんとポツーンですから。
 幼稚園の頃からだよ。
 すっげえびくびくしながら『あそぼ』って声かけてた。
 それが成就してたという意味では、おさななじみに恵まれたと言えます。つまり、生まれてすぐのタイミングからラッキーだったんだよな、おれ。

 高校生の頃は「なになんぱしてんの鏡みてこいよ」とか言われたりもしましたが、無事にこうして生き残り続けております。

 寄せられた期待に応えられずに申し訳なかったよな、と思うことが多々あるのは事実です。事実ですが。

 こんな私ですがあなたのお役に立てることがあるのではありませんか。

 と、いうようなね、静かに強気で穏やかな私がむくむくっと深層から言葉を吐いてくるのですよ。一緒に楽しい時間を過ごしたい、それだけです。いや、一緒にいられるその時間を、ひたすら満喫していったというかなんていうかその。

 
 お役に立てていなかったのなら残念至極に存じますが、もしかすると明日には。いえ、明日は急かな、でも一ヵ月後。夏至になったら。秋、紅葉のころには。そんなふうに希望が持てる、って感じられるんです。

 五木寛之さんの著作「大河の一滴」に、川が流れていって海に出ておおきなひとつになれるみたいにイメージできる描写があって、そういうのがすごく好きです。
 
 いま、川の源流を見上げて、こんこんとした泉から流れてくるものや、滝から落ちてくる流れを見ていて、ふと、

 『あれ? なんか流れてきてないか?』

 と発見しちゃう。

 ぷかぷかと。
 
 あるいは、沈んだり浮かんだりを繰り返したり。

 たしかに、ある。

 見える。

 で、だんだんこっちに近づいてきています。


 私が思い描く未来のイメージって、こんな感覚なのですよ。

 なんか来る。ほら、あれだよアレほらってば!

 みたいな。

 未来は、いまだきていないとはいえ、まぎれもなくココに来ます。


 これを別の説明に置き換えると、


 『大丈夫だよ、父上母上。心配無用。私は合格します』

 とか、

 『そんなに心配しないでください。卒業できますから』

 とか、

 『可能性ゼロじゃないなら、やってみる価値はあると思うんだ』

 っていう言葉が該当しますかね?

 合格した未来が、流れてきてる。それが見えている。
 卒業式の自分が、見えている。だから断言してしまえる。

 むしろ過去のことはどんどん薄れて忘れていくのに。
 まわりのひとが『未来のことなどわからない』ともっともらしく語るけど、私にはどんどん色あざやかに明確に見えるようになっていくんです。

 それを新たに、いまの自分に置き換えて説明しましょう。

 ぷかぷかぷかーって流れてくる、だんだん近づいてきてる、まだまだ遠く距離があるのは確かだけど、ほらほらほら、見えないかなーアレだよアレ、あれなんですよホラ。

 小説家になっている、おれ。

 こっちに向かって来てるんだよ。


 そんな感じです。


 気の迷いでもいいし、たわごとでかまいません。
 なんだったら華麗にスルーしてくださいませ。

 もともと、なにものでもないのです。

 想像力ばかり駆使しているうちに、空想好きの大人になっていました。

 ていうか、自分の限界ぎりぎりどころかむちゃくちゃ努力に努力を重ねて試行錯誤いっぱいしてオーディション受けまくったり路上ライブやったりしたじゃん。なあ?
 『ネットを見ればなんでもわかる』なんて言う人もいるけど、おれたちのことネットにひとかけらも出ないじゃん。なあ。なにそれ。なあ。


 私が大好きな本に、

 「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ
                     ロバ−ト・フルガム著

 があります。

 趣旨はズレちゃうかもしれませんし、なんとなくなんだけど、すごく遠い昔その昔のことが、いつも自分にとって最高の知恵を与えてくれているような、生き抜くために必要なことすべてもう経験して獲得しているんじゃないのかなって。そんな感覚が超リアルです。

 インストールされてるだけで起動させていないアプリみたいに、とてつもなく便利かつ有能な執事が、もうすでに自分の中にいるんじゃないでしょうか。自動では稼働してくれないのですよ。命令しないと。コマンド入力でパスワード自分で設定して、指先でも口先でもいいから動かさないと。

 そして…
 

 こっそり。こっそりと。

 私は1日に数分間は、かならず自分を甘やかすように心掛けています。

 くさる?

 あまやかしたら人間ダメになっちゃうよ?

 まあそうかもねだけど。

 だったらすでにもう私は腐りきったどうしようもないやつだよなあ。

 なあ。


 どうよ、どうなの、どうなのさ。



 っていうところで、私は私の言葉を私のペースで今日も紡いでいるのですが、こんなところまで読んでくださいまして。

 ありがとうございます!


 心よりお礼を申しあげます。

 もしも可能であるならば、これからもどうぞよろしくお願いします。

 インターネットのおかげでつながれた、あなたへ。


 これからもお礼をお届けしていきます。

 なによりも、あのとき、みっともなくても生きることを選んでくれた14才の私に。ちゃんと生き残って大人になってくれてありがとう。

 

まとめ


 私の小説がランキングに載るようになったのは、表紙イラストを作るようになってからでした。
 

 イラストACで出会った、それはそれは素敵で素晴らしいイラスト。

 描かれているのは、mymyさんです。

 ほんとうにありがとうございます。

 ありがとうございます!!

 もう、ほんとにほんとにほんとうに、ありがとう!!!

 かさねてお礼を申しあげます。ありがとうございます。


 表紙イラストが素敵すぎて素晴らしすぎるので、縁あって小説をクリックしていただけたかたのなかには一行目で「ん?」て違和感で去ってしまった方もいらっしゃると思います。
 
 だとしても。ありがとうございます!!

 はじめてのランキング入りは、たしか99位でした。うれしかったなあ!

 精進します! 押忍!!



いつか途方に暮れていた私に


 つかのまでもいい。
 ほんの、一瞬。
 この刹那も大切に。

 素敵なひとに出会えば、あいさつをする。
 素晴らしい作品には、感動する。
 思わず自然に言葉が漏れてしまう、そんなときにコメント。


 
 
 エールを贈る相手が見知らぬ他人でも『自分』でも。
 『よくやってるよえらいえらい』って励ましたくなるとき。

 まだまだだね、だよね、って思いつつも、これからだよまだまだいけるよ。って。大丈夫です、とりあえず安心してください!

 それはそれで、ていうかどれもどれもが素敵なことだと思うのです。

 というわけで未来の自分に。

 ノベルバさまの本日付けランキングちょっとだけ記録です。

 


 まずは、全ジャンルで。
 

投稿作品ランキング(月間×全ジャンル)

 2024.4.10. 

15位です。ありがとうございます!
21位ですです!サンキューです!!
37位に入れてるだなんて!ありがとうございます!!


私には感動の64位‼ いまもまだこれからも続けていく途中です! 


作者の実力不足なまま75位‼ かたじけない、感謝ですですです!



 続いて、ジャンル別です。

投稿作品ランキング(月間×文学)


 2024.4.10.



投稿作品ランキング(月間×詩)


 2024.4.10.




 

投稿作品ランキング(月間×現代ドラマ)


 2024.4.10.



投稿作品ランキング(月間×恋愛)

 2024.4.10.


投稿作品ランキング(月間×学園)

 2024.4.10.




 いまなお精進しております!
 
 

 今回のイラストも、どんむさんの作品を利用させていただきました。
 ありがとうございます!




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