半年

ロム専用に取得したnoteアカウントをついに動かす日がやって来たらしい。ツイッターに流すつもりだった話を、ここに書くことにした。呟くにしては長くなりそうだし、noteに残す方が後々自分も読み返しやすいだろうし。

それにしても、もう少し気の利いたタイトルが思い付かないものか。けれどもどんなに頭をひねっても思いつかなかったので、開き直ってシンプルにした。

予防線を張っておくとロクに推敲もせず書き連ねているのでまとまっていないし、誤字脱字もあると思う。そして、記念すべき初めての投稿があまり明るくないのは平に容赦して欲しい。


あの日から半年が経った。その事実を受け入れられているのかいないのか、正直なところ自分でも分かっていない。

あの日は7月も半ばを過ぎたというのに、関西は未だ梅雨明け宣言が出ていなかったことを覚えている。だからなのか、関西では雨がパラついていた。

職場で休憩中に飛び込んできたスマホのニュース速報を見て愕然とした。

どこで? なにが? 起きたって?

ニュースサイトを見てもタイムラインを見ても、それが起きたという事実は変わらず。多分私だけじゃないと思う。午後から仕事に身が入らなかったのは。

真っ先に案じたのは妹のことだった。妹の親友のことだった。あの子はそこで働いている。いつぞや凄いよねと嬉しそうに語った妹の顔が浮かんだ。

妹からLINEが飛んできた。

「あの子に連絡したけど返ってこない」

それを聞いて、もう何も考えられなかった。というよりは、考えたくなかった。


話は少し逸れる。翌日は新海誠監督の最新作『天気の子』の公開日だった。私はレイトショーを見に行った。遅い時間帯にもかかわらず座席はほぼ埋まっていた。

映画は面白かった。絵もとても綺麗だった。個人的な好みを言えば『君の名は』よりも好きかもしれない。けれど、映画を見ながらも考えるのは前日のことばかりだった。

前日の朝、ニュースでは『天気の子』公開直前特集が組まれていた。「ああ、明日公開かあ」なんてぼんやりと眺めながら出勤した。その数時間後、あの事件が起きた。

もしかしてあの場所で、私と同じことを考えた人がいるかもしれない。なんなら「いつ見に行く?」なんて会話があったかもしれない。だけどそれが出来ない人が、あの場所にどれだけいたんだろう?

スクリーンに映し出される東京の景色を、主人公たちを眺めながら、私の頭はその考えでいっぱいだった。

それから3週間後の8月上旬。私はその場所に向かった。その頃には関西もとっくに梅雨が明けていて、典型的な盆地のジメジメとした不快な熱気と太陽光が容赦なく襲ってきた。

そこは工事用の仮囲いが張り巡らされ、警備員も常駐している。窓という窓すべてに黒い跡が残っていた。あの日の出来事が現実であることを突きつけられた。言葉も出ずに、ただ黙ってそこを眺めていた。

少し離れたところに献花台が設置されていた。そこは連日訪れる人達が供えた花でいっぱいで、中には自分で描いたと思われるイラストも供えられている。

その隅の方に、私は1冊の本を置いた。小説版『天気の子』だ。

本屋でかけてもらったカバーに「よかったら皆さんで読んでください」と書き添えた。きっと見に行きたかったであろう人達へ。さすがに映像は届けられないが、少しでも何か届けばいい。そんな気持ちで供えた。

妹の親友からの連絡は、未だ来なかった。


あの日から1ヶ月と少し経ったある日。仕事が終わり片付けていた頃、妹からLINEが飛んできた。

たった一言、だめだったと。

その言葉で、あの子から妹に返事が来ることはもうないのだと悟った。

きっとこれから色んな作品に携わり、色んなところで名前を見かけるようになるのだと、そう思っていたのに。こんな形で終わりを迎えるなんて誰が想像しただろう。

電話の向こうで妹は泣いていた。私も涙が止まらなかった。

あの子と私に直接的な関わりはない。私にとってあの子は妹の親友で、あの子にとって私は親友の姉。それだけの関係だった。

唯一の思い出と言えば、私の好きな歌手と直接話したことがあるらしい。そんな話を聞いて、妹を経由して何を話したのか聞いた。それぐらいだ。

作詞の話をしたと聞いた。思わず「いいなあ!」と叫んだ。あの頃はそれが唯一の思い出になるとは想像していなかった。


秋になり、また別の映画を見に行った。エンドロールであの子の名前が流れた。あの子の名前が流れる最後の作品だ。映画本編でも泣いて、エンドロールで更に泣いた。

名前を呼ぶことで絆が永遠になるというのなら、それは相手がこの世界にいなくなっても有効なんだろうかと、妹は言っていた。

気休めにもならないと分かってる。それでも私は、有効だよと言いたかった。


年末は好きな歌手のライブに行った。初めてのカウントダウンライブだった。

年越しの瞬間、周囲が盛り上がる中、私は一人心が落ち着かなかった。あの子を2019年に置き去りにしていくような気がした。

目の前の人にあの子のことを覚えていてほしいと、身勝手に願っていた。あのとき作詞の話をしたあの子のことをずっと覚えていて欲しかった。そんな思いでステージを見つめていた。


あの日から半年が経った。妹は未だ立ち直れていない。私も油断すれば涙腺が緩む。

これを書くことで気持ちが昇華されるかと言ったら全然そんなことはない。あの日の傷にちゃんと触って向き合えるときが、いつか来るのか分からない。

ただ言葉にして残しておきたかった。誰かに聞いて欲しかった。


これを公開する前、妹に読んでもらった。

正直、私がこれについて語ることが本当にいいのか分からなくて迷いがあった。

だけど妹は「いいと思う、ありがとう」と言ってくれたので公開することにした。

最初は『天気の子』のことだけを書こうと思っていた。だけどこの話をするなら、どうしてもあの子のことを考えてしまい避けては通れなかった。

だからというわけではないが、これを読んだ人にも、あの日あの場所であの子がいたんだと覚えていてくれたらと思う。

背中を押してくれてありがとう、妹。



最後になりましたが、あの日亡くなった方々のご冥福を改めてお祈りします。