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ハイステ進化の夏、キャス変について

「ハイパープロジェクション演劇 ハイキュー!! 進化の夏」でのキャスト変更について/俳優さんの話とだいたいわたしの世界/なんでも大丈夫なひとだけ読んでいってね

べったー移行分。18/5/20にあげていたものです。17年の夏に感じたこと、まとめていたのにずっと出すことができていなくて、18年春の「はじまりの巨人」を経て、なんとなく、このタイミングで出そうかなと思った記憶があります。
あえて何もいじらずそのままの状態で移行しています。どうしてもつけたしたかったものだけ《》書きで書いています。

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 ハイステキャス変について。夏にちかりと受けた、小さなくらみの話。長いだけで伏せる内容ではないです。

 何度も何度も書こうとしては諦めてるお話、はじまりの巨人の発表を受けて、やっぱり一度まとめておかなきゃと思いました。

 進化の夏のキャス変について。だいたいたつなりさんの話です。

 

 大した話でも、考察でも、だれかの心情を汲むものではなく、ただあましんアルカイックホールの2階席片隅で小さく受けた衝撃とやわらかな受容を、いつの日かのために書きとめておきたかった。

 まず、わたしはものすごく烏野2人のキャス変を引きずっていた。らしい。

 正直全然そんなつもりはなかった。ちがう名前を見て、周りの動揺を見て、遅れてどうやら大変なことらしい、と悟った。それからとてもかなしく感じもしたけれど、どちらかというと気持ちは「新しい子を受け入れてあげなきゃ、好きになってあげなきゃ」の方に傾いていて、これはわたしの悪い癖でもあるのだけど云々はひとまず置いておきます。
 とりあえず、かなしみもしたけれど新しい子もいるし、そしておそらく自分勝手ながら自分の一番すきな俳優さんが変わっていなかったこともあって、「つらいけれど仕方のないこと」として受け入れ、新しいメンバーを観に行く準備は万全だったはずなのだ。

 ところが自分にとっての初日、はじめて進化の夏を観に行った時、開始10分でそんないい子ちゃんな考えは甘かったのだと知る。
 そもそも今回の公演、もともと凱旋の1公演しか予定がなく、就活が8月末で終わったテンションで、「もう今しかない!!!!」とチケットをもぎとったものがその兵庫初日公演だった。

 次から次へとめまぐるしく展開していく冒頭の劇中劇のなかで、たぶん自分は無意識のうちに絶対に見つからないひとを探し続けていただろうし、見つからないはずがないとも思っていた。
 そしてオープニングが始まり、アップテンポにハイな音楽を聞きながら、これは全くの新しい烏野なんだと徐々に思い知る。そして、そう思い知る自分にびっくりした。

 キャス変について、わたし、納得してたんじゃなかったっけ。受け入れて、ここへ来たんじゃなかったっけ。

 正直、その後は、どこを探してもその小さな気持ちの掛け違えが落ちているばかりで、ほとんど内容に集中できていなかった気がする。あちこちへ飛び回るみんなを見て、笑いながら、胸を痛めながら、それでも、まるでVIP席のように仕切られた空間で自分の時間として何かを探し続けているような、そんな一枚隔てたような感覚があったように思える。

 いや実際のところ、嫌な予感はしてたんだよね!!!! 直前に、勝者と敗者のバクステを見てたので。全然泣いたり感情を出したりする様子もなくストイックな印象さえあったたつなりさんが、もう思い切り泣いていたのを見てたから。

 勝者と敗者のライビュ会場で、それとはもっと違う、ぞくりとする嫌な予感を持ったのを覚えている。
 みんなのカテコの様子がおかしい気がする。特にたつなりさんと須賀くん。言葉をつまらせたり、間が空いてみたり、もしかしてこれは最後の作品なんじゃないかって思った。ハイステは終わりで、もう続きは出ないのだと。
 ライビュ会場の都合上、2人のダブルカテコを見ることはできず、家に帰ってついったで待機していても次の新作の情報が流れてくることもなく、しばらくもやもやとした不安を抱えてすごした。

 ところがその後新作発表があり、その幕が開き、前作の円盤が届き、見てみたらこれだ。カテコも、ダブルカテコも、あの舞台裏を知ってしまってからは、全然ちがうものに見えた。そうだったんだね、もうあの時には知ってたんだね、と、リアルタイムから4ヶ月ほど遅れて胸を苦しくさせた。

 そんな印象を連れての、進化の夏初観劇。自分は自分が思っているよりいい子ちゃんでいることが上手くないし、変化を受け入れることが下手くそだ。クレジットが始まり、あっという間に終わってしまったステージを呆然と拍手で迎えながら、そんな感想を持った。
 自分は思ったよりもずっとキャス変を引きずっていたし、受け入れ難いと思っていたようだ。

 そうして挨拶を拍手で見送り、やって来た須賀くんとかげやまさんのダブルカーテンコール。そこで、一気に気持ちを持っていかれた。

 話していた内容は全く覚えていない。
 けれど、ずっとにこにこと須賀くんに年上に対するようにじゃれつくかげやまさんと、全員のカテコの時のように、いなすような須賀くんの姿がとても新鮮で、でも同時に、すごく嬉しかったんだ。
 安心させてくれるみたいだった。大丈夫だよって。上手くやってるよ、楽しくやってるよ、こんな風にやってるんだよって。それは狙って演じたとかでは決してないんだと思う。本当に2人がそういう関係で、それを舞台上のダブルカテコという場で見せてくれただけで、ただただ、わたしにとっては初めて見る、かげやまさんの素のお姿だったというだけだった。
 にこにこと無邪気で、でもきっと、計り知れないプレッシャーや窮屈な思いも背負って今ここに立ってくれたひと。
 かげやまさんがあまりにも無邪気な方だったので、きっとたくさん受けてきただろう重さのことが余計に思い出されて、要はそれを感じさせない明るさを持った方だったので、余計にその胸中や今までを思って胸がくるしくなったのだ。
 こうやってここで笑って須賀くんと話す姿を見せてくれるまでに、どれだけ大変なものがあったんだろうって。それでもやりきってくれて、今こうして笑う姿をわたし達観客に見せてくれることが――わたしのように不安を抱えていた方もきっと多かっただろうその前で――、本当に本当に嬉しくて、ありがたくて、あなたが引き継いでくれてよかった、って思うだけでいっぱいになった。
 相棒であるけどライバルであり戦友、っていう前のお二人の雰囲気とは全然ちがう。ちがうんだけど、すごく安心して、泣きたくなった。

 ここからは、完全にわたしの妄想です。でもわたしだったらそう思っただろうし、ああいう涙を流すんだろうなと思う。
 今までで、日向と影山が、敵から始まりチームメイトになり相棒になり、友人にはなれずとも仲間になって。それをまた一から叩き壊すような衝撃のある今回のお話を、ひょっとしたら出会う前よりも壊れてしまうような2人のお話を、ずっと演じてきたたつなりさんがやりたくないはずなかったんだ。
 演出家から仲良くするなと言われ、本当に共に成長していくようなライバルであった須賀くんとの、これまで築き上げてきたものを壊して再度積み上げていくようなお話。
 それを、「影山のことは考えてません。なんでかって、俺が影山なんで」って言えてしまうように演じてきたたつなりさんが、やりたくないはずがなかったんだ。あの悔しいとも悲しいともとれない噛みしめるような泣き方には、そんな思いがつまっていたんじゃないかなって思う。
 だから、かげやまさんの影山が、「今までのもの」って言葉を口にするたびに、わたしは胸がきゅっとなってた。ひどい言い方をすれば、ちがう、という気持ちで、でも同時に、かげやまさんの影山を受け入れたい気持ちもいっぱいで。

 それが、あのダブルカテコでくずれた。
 兵庫初日公演、夜のとばりがおりてきたあましんアルカイックホールの2階席片隅で、わたしが受けた、小さなくらみと受容の話。

 舞台が続いていってくれる以上、きっとこういうことは何度でも起こって、何度でも同じ思いをするんだと思う。
 今回わたしは、初めて1つの作品を複数公演観に行き、大千秋楽にもお邪魔したのだけども、それでも、捨てきれない気持ちと、嬉しくまぶしく応援したくなる気持ちが、最後まで消えないままだった。
 偉そうに語るつもりはありません。ただ、初めて舞台というものに引き込まれた作品がハイステだった、1人のファンが受けていた色んな感情の記録です。


 この文章、実は進化の夏(2017/10/29)が終わった後ぐらいには書き終わっていたのだけれど、なんとなく自分の中でも整理がつかず、何度も何度も手直ししながら、これは世に出していいものか、出す必要があるものなのかを考えた。
 そして進化の夏の次の公演「はじまりの巨人」が決まり、一番すきな俳優さんも変わってしまったその今作を観に行って。
 それでも、やっぱりハイステが「すきだ」、前のひとも新しいひとも「どちらもすきなんだ」という思いが強く変わらずわたしの胸の中に鎮座していたので、そうかいじゃあそろそろこれをぽいと自分の思考箱に投げ入れてもいいよね、という気持ちで引っ張り出してきました。
 書き終わった後からもたくさんの舞台を見て、俳優さんのことも色々知って、それでもやっぱり一番だったハイステについて、今のわたしが思うところは、きっと夏を受けたわたしとはだいぶ変わっている。でもこの記録はきっと大事な感情だし、慣れてしまったからいいよね、と捨て置くものではないと思いました。
 これからも、舞台をすきだと思って、烏野キャストの卒業を控えても劇団ハイキューがすきだと思うのならば、こういった小さな自分の感情のかけらを、きらきらを、無視しないようにしようと思う。ただ観ているだけのお客さんではなくて、自分がそのお芝居によって、どんな風に熱を受けたのかを、いつか伝えるべき日のためにも。

(そして編集している今の時点で知ったことだけれど、須賀くんと影山役の子のあれは、ダブルカテコじゃなくてトリプルカテコだそうですね!! 今作は日替わりで誰かが連れてこられる仕様になってますトリプルカテコ、そのドキドキ感もあいまって更に心臓が揺さぶられる作品になっているので、まだチケット取れるから迷ってるひとはぜひ観に行こうね!!!!!!)

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 自分の「これからも、舞台をすきだと思って、烏野キャストの卒業を控えても劇団ハイキューがすきだと思うのならば、こういった小さな自分の感情のかけらを、きらきらを、無視しないようにしようと思う。ただ観ているだけのお客さんではなくて、自分がそのお芝居によって、どんな風に熱を受けたのかを、いつか伝えるべき日のためにも。」という言葉に不覚にもじんわりきた。わたしはその「伝えるべき日」というのを、つい一ヶ月ほど前に、体験したばかりだったから。その半年前から、わたしはそういう気持ちでいたんだね。

 この記事はきっと、いつとは言わないけれど、何度も読み返す日々が来るのだと思う。だから、記録として残しておいてよかった。「それでもだいすきで、ありがとう」、その気持ちを大切に感じていけたらいいな。

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