北野武「ソナチネ」と嫉妬とノスタルジーと。
大学4年の夏は非常事態宣言が出ていて、飲み屋もバイト先も9時までで終わってしまう日常の中で、かといって研究をやるにも気力がわかず、終わりゆく学生生活の焦燥感に耐え、映画を見ては酒をのむという生活を繰り返していた。当時付き合っていた恋人ともあまりうまくいかず、友人とは飲み飽きるくらい宅飲みを繰り返していたせいか、一人でいる時間がその時は好きだった。俺はファミマ限定のアルパカよりも安いファミーゴという赤ワインを一本買って北野武の「ソナチネ」を見ていた。武映画はもともと好きで、よく見ていた。今回も多分4.5回目くらいだろう。僕らZ世代(ギリ入る)は北野武という存在をビートたけしというお笑い界の重鎮という認識でしかなく、その多才さはあまり認識されていないと感じる。初めて初期の武映画を見た時は衝撃だった。その日もやはり、武の映像美に酔いしれ多少の嫉妬感を抱きながら見ていた。
俺は文系にあこがれた理系だから芸術的なセンスを持っている人に小さいころからあこがれを抱いていた。絶対音感だったり文才とか、写真をとるセンスだったり身に着けようと思ってもなかなかつけれるものじゃないそれぞれのセンス。憧れていくうちに好きになり、本や映画をむさぼるように見ていた時期もある。自分がそういったコンテンツを消費していくうちに、自分との乖離に落ち込んだ日も少なくない。まさしく、北野武が一番それだった。こうなれると思っていたなんて言ったらおこがましいにもほどがあるが、全能感を抱く思春期にとってそれは通過儀礼的なものだったのだと今となっては思う。そんな武の代表作であり、そんな武ですら悩みに悩んだ末自決ともとれる大事故の前に作った作品がこの「ソナチネ」だった。
この日はそんな羨望ではない感情だった。大なり小なり人は悩みやしがらみを包括している生き物だからある種当時の自分の中の飢餓感みたいなものを透視しては自分と重ねてみていたのだと思う。有名なセリフに「あんまり死ぬのが怖くなるとな、死にたくなっちゃうんだよ」というセリフがある。少しだけわかった気がした。別に死にたくはないけど。なんかその、どうでも良くなってしまう感じ。もう何もやりたくなくなって、投げ捨てて、周りの関係を全て断ち切って、沖縄にでも行って。綺麗な海をを見るだけで一日が終わったりして。どうでもいいんだ。そう思える寂しい夜がある。でもまだ救済はあるから、俺はこのソナチネの武みたいにはならずに少しずつ生きていくんだなぁと思う。