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先生が息苦しい思いをして書いたものがどんな内容なのかがめちゃくちゃ興味あって、久しぶりに購入して読んだ。 とても面白かった。
サビアン終わった後、自分、まだまだトリトコスモスに囚われてるし、理解できるレベルじゃないな…って思ったので、最近のnoteは読んでなかった。
けど、マジ面白かった。

冒頭の文章で、今読んでるベルゼバブのとことリンクしてしまって、そこでしばらく唸ってた。

自分の思い込みをまた発見した。
どうしてもジャッジしてる自分がいる。これはどこからきてるんだろう?って思ってた。
ベルゼバブのP391~書かれてる、区分を作って、カーストを作って再分割し始めるって話。
ベルゼバブでよく出てくる、公平無私な観察者。 ジャッジしないってことだな…って。
対象をを作りだすと違うってトコに何故か差をつけてしまうな…って。良い悪いだったり、優劣だったり、勝敗だったり…。まぁ、陰陽だから当然なんだけど、それを公平に見るっていうのがすごい苦労するな…って。

陰=悪い、陽=良い ってことにしがちだな

法則に合わない割り込み
視点をどこに置くか…なんだろうな…
月と魚の話でそれを思った。

問「?」がなければ答「!」がないっていうのも刺さった

本当、面白い


公平に見るのが苦労するのは、自分が、悪・劣・敗側になりたくないからなんだろうな…って。 だから、その役割を他の人に投影して、ジャッジして、気分よくなってる。 そういうのを認めたくない…。 いい人でいたい。みたいな…? あー…これがクンダバッファーか…って
自分の中にある。のに、ない。ってことにしてるとめっちゃ見せてくる。
分離して気づかせてくる。これを自分の中にある。って認める
そこにジャッジもラベルもいらない。 ただ ある だけ。

これ、悪・劣・敗側の役割を押し付けた人からは自分がそう見えてるってことだよな…って。 だからブーメランなんだな…って。


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