備忘録的メモ13
太極図説を読むと、陰陽極の上に無極というものがある
つまり、どちらでもあるし、どちらでもない。
判断がない、否定がない、比較がない、条件がない、 つまり、差がない。等しく存在している。
何かを判断するとき、必ず陰陽に分かれる。
主人は思考・感情・身体の上にいる
思考がなにかを判断するのを見てる。
感情に名前をつけるのを見てる。
思考が判断したとしても、その逆をも見れる視点が主人なんじゃないか?
泣くという身体の反応
感情には、嬉しい・悲しい・悔しい… 安堵もある、どれも当てはまる
思考がどれを選択するのか??
泣くのは悲しいとき。しか知らない人は、悲しいしか思考が選択できない。
その人の世界でしか生きられないとは、泣くのは悲しい。他人が泣いてたら、悲しいんだな。としか判断できない世界ということか?
人以外にも作用する。カメが産卵するときに目から流れるものを見て、泣いてると判断し、悲しいと判断する。それ以外の選択は間違いと判断する??
間違いと判断するのはいらないよな… ジャッジはいらないな
自分が知らないだけかもしれないから…
ただ、この一連の反応が自動反応になってる場合があるってことか?
フラクタル構造
上と下は同じ構造をしてる
全と個は同じ構造をしてる
同じ構造をしているが、規模が違うので、全を語ろうとしても、結局は個の規模でしか語れないし、個の持っている思考でしか認識できない?
個の規模、器を大きくする、枠を拡大していくことで広く知覚できていくのか?
器というとお皿とか、人型をイメージしやすいけど、たぶん、これは振動密度/物質密度で表されてるやつかな…と H24とかH48とか… 分割数なんだろうな…
Gさんが自分自身の存在のレベルのモノしか見えないと言ってる
たぶん、見えないだけじゃなく、話が通じないまである。
意図が伝わらない。
これを同じ存在レベルにするには…と考えた時、同じ振動密度にする必要がある。そのために踊りを使ったとも考えられるな…
音楽も使うことによって、より調和に近づく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?