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備忘録的メモ2

仕組みがわかってくると、自分の言動に気を付けなければな…と思う

思考を介在させないということは、受信機になるということか?

確かに、筒だな…と

なので、『自分』が何者かにならなくてもいい

『自分』が すごい/すごくない  ではない

ただ、受け取ったものを発信するだけ

誇張表現もいらない

淡々と… 当たり前のこととして受け取るだけ

出来事を『特別』だとラベルを貼ると、その出来事は『特別』のように認識されるし、『日常』だとラベルを貼れば、『日常』として認識される

人によって、認識が違うだけ

ある人には『特別』にみえる出来事はある人にとっては『日常』にみえるだけ

こういう出来事を『特別』だと思いたい という意図を発すれば、そういう出来事を見やすくなる フォーカスされる、そこに視点が向きやすくなる

無意識の中、自動的に行われてる反応

刺激

なぜ刺激を欲しがるのか…
生きている『実感』が感じられるからだろうか?

『特別』なことはめったに起こらないから奇蹟とか呼ばれ、『日常』なことは常に起こっているから目新しさは感じない。
つまり、全ての出来事が『日常』になったら、たぶん退屈、飽きるんだろう

人魚姫が海の生活に飽きて、陸の王子に恋したように

『特別』を演出したい・している 
そうすることから退屈から抜け出しているのかもな…

『特別』なことはどうしたらつくれるのか
それは『制限』をかける、『ルール』を作る、『差』を作る
RPGの上級者がよくやる縛りプレイということになるのか…
波乱万丈の人生乗り切ってやるぜ!みたいな感じか





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