ヴェール
京極さんの姑獲鳥の夏を映画で見た時に
そんなことある??
っていうシーンがあって
今まさに、そんなことあるんだな…ってなってる
割とホラー
人は見たいものしか見てない
真実をヴェールで覆っているのはまさしく自分だということ
ヴェールを取り外せるけど、それをしないのも自分
そこには見たくないものが山積みになってるから
確かに、準備が出来ていない状態で
それを見たら狂ってしまうんだろうな
だから覆い隠されている
近づこうとすると遠ざけられる
見たいものしか見ないように
緩衝器が発動する
真実が語られたとしてもいいように捻じ曲げられる
真実が物語でしか受け入れられないのは
物語とは自分の蚊帳の外の出来事という認識だから
物語として表現できる人は、それを見事に落とし込めてるなーと感嘆する
Gさんはこれを見て、その後どうしていくのかの話をしている
誠実に見るのが大前提であり、そこからしか始められないとしてる
ここに恐怖を感じる人はGさんを嫌うし否定するんだろうな…と
何に恐怖を感じているのかわからないから、その恐怖を感じさせる対象としてGさんに矛先が向いてる…みたいな感じかもしれない
あとは、大前提がなかったことになってるか…
つまり、見たいものしか見ていない
一方的に伝えるのにも無理が出てくるな…と
見たくないものを見せるわけにはいかないから
だから物語にして甘いコーティングをして飲み込んでもらってるのかもしれない
でも、身体がそれを受け容れない器であれば?
コーティングだけ味わって残りは吐き出しちゃうかもしれない
だから自分の覚悟が必要になるし
ある程度エネルギーを持ってないと耐えられない
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