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備忘録的メモ12

相対するものが出会うと打ち消し合う、プラマイゼロ?

ただ、存在は常にしている。

陰陽図が全を表してるのか…
エイブラハムで言うコントラスト
Gさんが言うところの、不平等の破壊についての説明

片方を消すことはできない。それは全の否定になるから。善ではなく、全
全を否定するということは、世界の否定になり、世界=自分になるから、結局、自分の否定になる
何かを消そうとすることが、悩み、苦悩、不安、焦燥に繋がるのか

あるがままを見る。とは、消そうとせず、そのままをみる
ただ流れているのを見る
統合とは、全部が自分ということ。その中に、悪も憎しみも入ってくる。
それを外側に作ることが分離になる。

両方あるなかでじゃあ、どう生きるのか?というところに、エイブラハムは、自分が気持ちいと思う方を見る。という提案をした。ということなんだな…。 出来事として、良くないと思えることはある。それでも、その中でも気分のよくなる方をフォーカスしよ😉 ってことか。相対的にそれは存在しているはずだから…


全一、1が分割されているから、0から始まっていないし、完全に0にはならんのよな… 
プラマイ0もそう見える。状態というだけで、その前の極のモノ同士が無くなるわけではない。存在してる。プラマイ0に見える状態も存在している。

うまく説明できんなー…


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