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(9)はまだ全然読み込みが足りない…

こうなんじゃないか?って思うと、先生が書いてあることだったりするので、あれ?ってなる。

で、昨日の無心について考えていて、
無だけど、有はGさんの生きとしいけるものの図に当てはめられる。ってことまで考えて、
H48感情に天使のH48身体を持ってきたい場合って、自分の今持ってる感情を無にする…ってことなんだよな…って。

で、(9)のカルマ・業の話を思い出したのだけど、無って0なんだけど、偏ってないってことでもあるな…って。+、-、0 的な考えね。

(9)でも書かれてるけど、業って重いイメージだけど、癖とか習慣なんだよね。私の好きなマンガの聖・ライセンスにも書いてるけど☺
地上でついた垢って、これなんじゃないかな…と。
考え方の癖、食事の癖、身体の癖、ついやっちゃう習慣みたいな…。
そういうのってなかなか取れない。それが取れたとき、つまり、三分節が整う時っていうのはすべて偏りがない状態ってことなのかな…と。

そういうときに降りてくる。H48であれば天使が、H24であれば大天使が。

先生の南十字の話を読んで、夜に星を見る。
そういえば、星を見るのは夜だな…と、でも、日中もじつは星ってあるんだよな…って。太陽の光が強くて、それこそ、光のベールで覆われてるんだよな…って考えた。
つまりは、星座の物語も夜の星のことしか語られてない、偏ってるのだな…と。



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