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ほわん

真実なら誰もが聞く耳を持つだろう、とか、真実なら誰だって理解できるだろう…

そう思っていた時期もありました

真実だと思ってるのは自分だけ。というのが抜け落ちてる
そして、意外と真実を知りたくない人が多い気がする。


映画良かった🥰
字幕と4DXで見た。4DXが吹き替えでこのティミーの歌がどうなるのか不安だったけど、全然良かった。字幕で見落としてたところとかも発見できて、見てよかったわ

この映画でチョコを食べたことがない女の子が、チョコの味を知ったらチョコがない生活が辛いからいらない。と断るシーンがある


信念体系が思いのほか…というか、結構強固な気がする
これでも大分緩和された方なんじゃないかな…
多様性と認められるようになってきた
すべては緩和に向かって動いてきた過去の人々のおかげでもある
感謝
ただ、これもただ起きてるだけ…そういう流れ…とも捉えられるわけで…

この信念体系、長い間ずっと語り継がれてきた

表層は結構ボロボロになってる気がするけど、根本がやはり強い

イエスのアレが強烈すぎる
ヨナコンプレックスの原因に一役も二役も買ってるんじゃないかと思うよ


毎日がリセットされ、違う選択が出来る。
違う選択をしていくと、突然まったく未知の選択肢が出てくる。

過去の履歴に一切ない選択肢

そういうとき、恐怖にかられないだろうか?

こっちを選んで来て良かったんだろうか?
引き返すか?
でも、この選択肢とはもう会えないかもしれない… どうしよう?

どうしよう?

そう、選択する前に悩む
そして、チョコを知らなかった女の子のように、知らないままを選択しようとするかもしれない

とある動画で聞いたのは、どちらを選択しても一緒
選択したルートを自分でよりよくしていくってことらしい。

どちらかが正解だと思わされてる可能性があるってことだ

どちらも正解にすれば迷いはなくなる

なにが正解かは自分で決めればいい
むしろ、正解を自分で作る 創る 創造するってことだ




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