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ゆるっと

伝えることと、人を変えようとすることは違う。

Gさんのエニアの空気ショックは圧とか、空気読みのことになるのかな?
子供は何かをしたとき、親の機嫌で良いことか悪いことかを判断している所がある。
つまり、親からの空気ショックを受けてるということではないか?
子供が何かをしようとしたときに、先回りして制する圧を感じていたら、何をするにしても躊躇してしまいそうな気がする… どうなんだろう?
難しいなぁ…

やめなさいっ!
やめなさぁ~い?
同じ言葉でも、空気の違いがある

負荷ショックは常に外側からもたらされる

伝えることだけを目的にして発生された言葉と、伝えることで人を変えようという目的で発生された言葉の区別はなんとなくわかる気がするし、相手にも伝わる気がする。

感覚として

ただ、何が自分にとって負荷ショックになるかわからないということ
予期しないからこそショックになる



定期的に聞いてる
とてもいい

2番の歌詞 詩子お姉さんのパートで
『不幸とは幸せだと気づけないこと 毎日が誕生日で命日なこと』

毎日寝て起きることを、毎日リセットされているという意味とも言える
つまり、次の日はもう前日の自分ではない

同じ選択肢(はい/いいえ 右/左 コーヒー/紅茶 等)が出たとしても、毎回同じ方を選ぶ必要はないということ。
選んでるのは自分だということに気づく。

同じ選択肢を選び続けることで、違う選択肢を選ぶのが怖くなる気がする
そして、同じ選択肢を選び続けることで、その道が太くなっていく
もう一つあったはずの道は細くなり、見えなくなる可能性もある

山道を考えた時、誰も通らない道は草木が生い茂って通れるものではなくなる

負荷ショックはその見えなくなった道をもう一度見つけられるチャンスとも捉えられるのではないだろうか?

詩子お姉さんの次のギル様のパート
『泥沼をかき分けて 蓮の花が咲く』

仏教で語られてるのかな?
蓮の花の上に座ってたりする話とかある

泥から綺麗な花が咲くんだよ…みたいな

泥沼も視点を変えたら硬い土よりは肥沃なのかもしれない…とかね
蓮の花だけにフォーカスを当てなくてもいい



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