備忘録的メモ3
真面目に極めようとか思うとループしやすい
それまでの自分の思い込みをすべて壊す必要があるから
つまり16塔だ
感覚的なもの
制限の中で思い描くものはすべて制限されたものでしかない
思い込みはまだ制限の中だ
小さいことから始める
『日常』と『特別』の間にある垣根をとっぱらう
日常に生活している『自分』と特別な生活をしている『自分』に差はないはずなのに… この差が分離感を生んでいる可能性はないだろうか??
統合とは、差をなくす、境界をなくす
差を作ることで気持ち良くなっていたことを、差がなくても気持ち良い状態にすることが出来たら、どうだろう??
なぜ差が生じるか。『自分』の前にある形容詞のせいかな??
どんな『自分』でいてもいい。
どんな『自分』がいても許可していく
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