演者
人格を服だとすると、ここに同一化していると、今までの社会的に培ってきたものが壊されると思い、恐怖が出るのかもしれない
しかし、服、演じている役だとするならば、それを脱ぐ、演じている役から降りるというだけでいいはずだ
別に壊さなくていい
着替える服のバリエーションだ
クローゼットにしまっておけばいい
捨てる必要さえない 必要なくなったら捨てればいい
同一化、つまり、その服が気に入って、ずっと着ていたいと思う
その役が自分にはハマり役だ、合ってる、この役こそ自分だ!と思う
他から押し付けられた役もある。
その役を自分は選んでないのに、強制的に演じさせられる場合もある。
そこに気づく。
これは自分ではないと
周りとの調和に必要なら、演じる
ただそれだけ
Gさんの言う占星術の一つなのだと思う
杖を落としたGさんに杖を拾って渡したのはただ一人だけだった…
他の4人は何をしていたのか?
という問い
役割りを各々演じているということ
本質の自分がわかっていたら、その役から降りれるし、服を脱げる
周りからのラベル貼り(強制的に役を押し付けられる)は選択肢の一つと考えられる。そこに乗る必要はないということ。与えられた役を自分で選べるし、必要なら本質が嫌がってもやる。
他の人がやった役を次に自分がやってもいい。
その人物を演じるためには、周りから、そのように見てもらう必要がある。周りの人にも自分をそのように演じさせるために振る舞って欲しいという意識が働く
そのために言葉を使ったりする
暗黙の了解みたいなのが、このあたりなのだろうか
裸の王様 の話
無意識の意識に気づく
意識的にするには、宣言することで行動に繋がったりする
次に杖を拾うのは私です。みたいな?
役をもらわないと動けない
というのは、本質を見失ってる?
そうなると、本質は…
ここはとても面白いところに行き着く
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