へんか(メモ)

今日の先生の動画は面白かったなぁ
やっぱり、楽しいと思ってることには熱が入っちゃうのかな??

Gさんの学園を見学に来た人の話は面白かったな。

変わりたくないと思っていると防御反応が出る 今の自分を守りたい。壊したくない
本能的にわかっちゃうんだな…


変わりたいと言いつつ、自分は変わらずに周りが変わってくれるのを願っている
若しくは、誰かが自分を変えてくれるのでは?と期待をする
そういうことに気づく

自分をコントロールするとは、周りに合わせることではない
周りに合わせるのに自分をコントロールするのは、自己が不在状態
周りに合わせるために自分をコントロールする。と考えるだけで萎える感じがする。当たり前、自分がしたいことではないから

思考・感情・身体が一致して動くと楽に動ける
抵抗がなくなるからだ

抵抗は自分ではなく、周りをコントロールしようとして生まれる
周りの目を気にすることで生まれる
結果に執着することで生まれる
つまりは、自分の外側に視点がいっている状態が自己が不在になるのかな…と。自分が自分の内側にいない

自分の外側に目がいくのは外にいいものがあるのかもしれない…という幻想
青い鳥
なぜ自分の内側にいたくないのか?
内側は居心地がよくない。
内側の居心地をよくするのが三分節の身体の快に繋がっていくような気がする
内側を居心地よくする。というのは、内に籠るということではなく、掃除だったり、断捨離だったり、
(自分の中に溜め込んでるゴミを外に出す。アウトプットする。紙に書き出して丸めて捨てる。若しくはビリビリに破いて捨てるでもいい。noteは人の目を気にする(外側に目がいく)ので、自分だけで完結できるやり方がいい noteにゴミ捨てられても…ってなるじゃない?)
自分を責めたりしないことだったり、自分を否定しないことだったり、自分が快適に過ごせる場を自分の中に作るということ

ゴミとして捨てたものは再利用可能
捨てたというのは、自分から離れたから客観視できるようになる
つまり、同一化から外れるってことだ

それは私の思考ではありません。それは私の感情ではありません。

そうすると、ゴミは事物と印象がくっついてるものだったことがわかる
それを切り離してく
粗大なものから精妙なものへ

ゴミは土の肥料になる





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