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「成り上がり」矢崎拓也と矢沢永吉の「アンチ成功哲学」


2023年、新井貴浩・新監督の下、新たな船出となった広島カープだが、5月下旬から本拠地・マツダスタジアムにはカープがリードした9回の裏、「止まらないHa~Ha」が流れるようになった。ロックミュージシャン、矢沢永吉の代表曲である。

矢崎拓也がマウンドに上がると、真っ赤に染まるスタンドには、赤地に黒い”T.YASAKI”というロゴが入ったタオルがあちこちで揺れる。
矢崎はプロ入り当時から「態度がふてぶてしい」と揶揄されたこともあるが、それがいまや頼もしく思える。
今季25試合に登板して、4勝0敗、13セーブ、防御率2.38。
セーブ失敗は1度だけ。
今年、オールスターゲームが開催されるマツダスタジアムの最終回にも矢崎は立っているかもしれない。
慶応義塾大学から2016年のドラフト1位指名を受けて入団した投手が、YAZAWA風に言えば「サクセス」をようやく掴んでいる。

衝撃のデビューから暗転

2017年4月7日、カープの前年ドラ1ルーキー・加藤拓也は衝撃のデビューを飾った。
本拠地・マツダスタジアムで行われた東京ヤクルトスワローズ戦に先発登板し、9回1死までノーヒットノーランの快投を見せたのである。

直球に威力はあり、ストレートとフォークで三振が取れる。しかし、課題は制球力だった。
加藤は先発ローテーション入りも束の間、結局、ルーキーイヤーは登板7試合(先発5試合)で二軍落ち。チームは2連覇を果たしたが、加藤は蚊帳の外だった。

翌2018年もカープはリーグ3連覇を成し遂げた。
だが、加藤は一軍での登板すらなかった。
2019年には苗字が「矢崎」に変わり、2020年オフには背番号も「13」から「41」に変わった。
二軍で制球難の克服のきっかけを掴みかけても、一軍では制球難が頭をもたげてくる。この繰り返しだった。

4年ぶりの先発のチャンスも

矢崎に再びチャンスが巡ってきたのはプロ4年目、2021年5月28日、ZOZOマリンスタジアムでの千葉ロッテマリーンズ戦だった。
カープは新型コロナウィルス感染者が相次ぎ、濃厚接触者を含め、先発陣を含む主力選手たちを欠き、矢崎はその穴を埋めるべく、4年ぶりに一軍で先発マウンドに立った。

カープは5回までに、7-2と5点リードした。矢崎は課題の制球難はあったものの、マリーンズの守備の自滅によって試合の流れは完全にカープのものとなった。

ところが、矢崎の勝利投手の権利がかかった5回、今度はマリンの風が矢崎にそっぽを向き始めた。四球と不運なヒットを皮切りに東京六大学野球リーグでのライバル、早稲田大学出身の中村奨吾にタイムリーを浴びて2点を失い、なおも一死二、三塁で、打者ブランドン・レアードを迎えた。
矢崎が投じたこの日103球目、外角の速球をレアードは叩いたが、打球は力なくセカンドベース後方へ飛んだ。
だが、打球は10メートルを超える強風に流される。セカンドの安部友裕は倒れながらなんとか捕球した。
その動きを見て、三塁走者のレオニス・マーティンがタッチアップしてホームへ突っ込む。安部が懸命にバックホームする間、マーティンは回り込んで、左手でホームベースの一角をタッチ、一方、捕手の中村奨成は返球を受け、追いかけるようにマーティンの左肩にタッチした。
主審の両腕は真横に開いた。
すぐさまカープのダグアウトから佐々岡真司監督が飛び出し、リプレイ検証のリクエストを要求した。
だが、グラウンドにかえってきた主審は再び、両手を真横に拡げた。
カープが2点差に詰め寄られると、矢崎は交代を告げられた。
プロ初勝利以来、矢崎の1512日ぶりとなる勝利投手の権利は逃げて行った。

結局、カープは勝利し、矢崎の後を継いで無失点に抑えた新人の森浦大輔にプロ初勝利が転がり込んだ。昨年まで自分が着けていた背番号「13」を継いだ後輩だった。

その後、シーズン終了までに一軍で矢崎に先発の機会は巡ってこなかった。
プロ5年の通算成績は一軍で22試合に登板して、1勝3敗、防御率6.23。
大卒ドラ1指名の投手としてはまさに崖っぷちに立っていたと言ってよかった。

「すべてを受け入れ」生まれ変わった

しかし、プロ6年目を迎えた2022年、矢崎は別人のように生まれ変わっていた。
自己最多の47試合に登板し、17ホールド、防御率は1.82。
3月29日、マツダスタジアムでの阪神タイガース戦で5年ぶりの勝利投手になると、5月15日、東京ヤクルト戦(マツダスタジアム)ではプロ初ホールド、6月26日、横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)ではプロ初セーブを記録した。

ブレイクし立ての頃、矢崎は「今年、自分がこういう感じになるというのは、全く想像していなかったというか。おそらく僕がこうなることを想像していた人は誰もいなかったと思う」と冷静に振り返っていた。

矢崎が制球難を克服した直接の理由かどうかはわからないが、矢崎は座禅に取組み始めた。座禅のおかげですべてを受け入れることができるようになったという。
インタビューでも達観した受け答えが多くなり、「投げる哲学者」と綽名されるようになった。
さらに矢崎曰く、「成功」と「失敗」という概念を消しているという。
矢崎が二軍から一軍、セットアッパーからクローザーへ上り詰めても、もう揺らぐ気持ちはないようだ。

矢沢永吉と矢崎拓也、共通するのは

1949年生まれの矢沢永吉は音楽でサクセスを求めて広島を飛び出し、横浜で途中下車した。
1970年代からヒットを連発し、カリスマ的な人気を手に入れ、70歳を超えたいまでも、武道館、東京ドームを沸かせることができるロックスターだ。

矢崎拓也は1994年に東京で生まれ、横浜にある慶応義塾高校・慶応義塾大学から導かれるようにして広島へ行き、マツダスタジアムを沸かせている。

職業も生きた時代も異なるが、矢崎に矢沢との共通点を見た。
矢沢永吉といえば、著書「成り上がり」に象徴されるような、「成功」に貪欲なロックスターという印象がある。

しかし、矢沢は2017年に、インタビューでこう語っている
「20代で長者番付に出たけど、心がちっとも温かくなくて・・・
『神様、成功したら寂しさ、悲しさは消えるんじゃなかったの』
と聞いたら、神様が指さした。
見るとサクセスとは違う、もう一つのハッピーというレールがあった。
成功と温かくなることは別だったんだ」

矢沢と矢崎、職業も歩いてきた道も違えど、私には同じように見える。
「成功」というものに惑わされていない。
いまの矢崎にとって「成功」は何も自分を変えないものなのである。

「成功」という概念を超越したクローザーが今度、どのような進化を遂げていくのか見てみたい。

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