六月

時間が早く過ぎてほしいのに、一日一日が終わるのが怖くて私が時間ならほとほと困り果ててしまうし、息するの止めてください。みたいな無理な要求をしていると思う。

恋人に怖いことがないといいなと祈っていて、自分に悪いことがあると恋人にそれが起こることを考えて怖くなる。
寝坊しないといいし、満員電車に乗らないといいし、時間の進みが遅くも早くもないといい。

新幹線から見えるもの全部見てしまおうと思って、五時間くらいの乗車時間で街を見ていた。だれかの体育の時間を見たし、だれかの犬の散歩を見た。静岡県のどこかの街が自分の地元みたいで、街全体があるあるになっている風景を想像した。変な店の上に小さな自由の女神が立っていて、駐車場が無駄に広いドラッグストアがいくつかあって、なんかこの街どうしようもないなと思いながら別に嫌いじゃない人が落ち込み気味に暮らしている。

常に誇張してしまうことが、自分から自分への信頼を失わせている気がしている。最近はもう死にたくないと思っているし、たまの死にたさが持続することもなくて、素直に考えると凡庸だけど楽しみな予定まで眠っていたい。新幹線で向かっているときは本当に眠っているだけで楽しみな予定が近づいてくれて嬉しい。一人乗りだったら完璧なのに。

谷川俊太郎の「無口」がカッコイイ

死にたくないのに、生きることの苦痛については結構いつも考えていて、これは死にたかった頃の私の名残で瘡蓋の痒さだったり、ケロイドの違和感みたいなものだと思う。

変質した皮膚がツルツルして自分のものじゃないみたいに冷たくて、よく触ってしまう。
自分なのに自分じゃないものと自分じゃないのに自分なもの見極めたい。無駄だけど。

暑い時冷房付けられるようになってくださいね




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