めざせ、3歳児

わたしより7つほど年上の、ときたまこぼれる関西弁がチャーミングな彼女は言う。

「年を重ねるとね、物事のとらえ方が驚くぐらいシンプルになっていくんだよ。人を好きになることだって、好きだから会いたい、好きだから一緒の時間をすごしたい。ただ、それだけのことやなぁって気がついて。理由なんてあれこれひねり出す必要、ないんだよね。20代の頃はもっとあれこれ複雑に考えていたこともあったけど、この歳になって、だんだんシンプルに考えられるようになってきた。」

シンプルに考えること。当たり前のようでなかなかできないこと。

わたしは仕事でも研究でも私生活でも「なぜ」をたくさん繰り返してきた。「なぜ、この研究をするのか」「なぜ、教育学を選んだのか」「なぜ、わたしは研究者になりたいのか」「なぜ、この人と結婚したいのか」…、息つく暇もないくらたくさんの「なぜ」を自分にも他人にも繰り返してきた。

そしてその「なぜ」に対する答えがすっきり説明できないと自分にイラ立ち、説明できるようになればなったで、他人からの「なぜ」の問いには定型文のような同じ答えを垂れ流すばかり。

でも考えてみたら、いままで自分が繰り返してきた「なぜ」に対する答えは「好きだから」「おもしろいから」という、ごくシンプルで、ごく飾らず、3歳児の子のような単純さで説明できてしまうのだ。子どもの頃にはそういった感情しか持たなかったのに、成長して語彙を増やし、(ずる)賢さを身につけるにつれ、私たちはだんだんと説明的になっていく。

同様に、発表スライドなどが説明的で冗長になったときは要注意だ。理論武装で安心したい自分がひょっこり顔を出しそうになると、決まって以前、母に言われたことを思い出す。

「スライドを作成していて、あれも足りない、これも足りない、と行数だけ増えるときほど、シンプルに削ぎ落とすこと。短い時間で伝えられるメッセージは限られているのだから。説明的なことは、論文で書けばいい。」

以来、わたしは発表用のスライドを作成するときはいつも「シンプルに、シンプルに…」と唱えることが習慣になっていた。

「なぜ」を繰り返して苦しくなったら、ごくシンプルに。

理論武装をして安心を得ようとする自分に気がついたら、ごくシンプルに。

もののとらえ方や受け取り方を3歳児並みの「好きだから」「おもしろいから」「気持ちいいから」「かっこいいから」などに一瞬でも立ち戻れたら最強。これらに勝る気持ちなんてきっとこの世には、ないのだから。

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