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高3の息子をコーチング

 コーチングスクールの認定コーチとなった事は、以前のnoteでも書いたのだけど、まだ、正式には、お金をもらった上でのコーチはしていない。準備も必要だが、完璧な準備をなんて言っていたらきっと時間ばかりが過ぎていく。他の方々も教育ビジネスに携わる人は、きっと、ある程度の準備が整えば、後は走りながらアップデートしていくのだろうなと思う。出来る限り早くコーチング人生スタートのために、まずは、高校3年生の息子にコーチングを始めてみた。

<息子の夢を文字に>

 高校3年生の息子には、はっきりとした夢がある。とても厳しい世界であり、すごくいばらの道でもあると思う。が、親として応援したい!というよりも、本人がやりたいと真っすぐ前を向いているのに、どうして横を向かせる必要があろうか。それも、高校3年生。人生は、まだまだ、長い。ひと昔前なら、「ばか言ってんじゃないぞ!生活どうするんだ!嫁と子供を食わしていってやれるのか!もっと地に足がついた仕事を目標にしろ!」と言われるところだろうし、おそらく、今の世の流れを知らないオールドタイプの人は、今でも、同じことを子供に言うに違いない。「公務員になりなさい。安定してるから。」とか。もちろん彼の夢は、上手くいかないかもしれない。いや、その確率の方が存分に高い。正直親としても厳しいんじゃねーか?と思っている。が、失敗する確率が高くとも、そこで真っすぐ前を向いた息子に、いや違う、左向け!や、右向け!や、きおつけ!という時代は、すでに終わっている。あー、色々と勉強しておいて良かったと思う。でないと、自分が過去に学んだ事をそのまま息子に押し付けていたかもしれない。ぞっとする。

 さて、息子と始めたコーチングだが、彼の「夢」をまずは文字に起こす事から始めてみた。言葉に出して夢を語ったことは何度もあるが、文字に起こして、夢を語る事は今まであまりしていない。夢を文字にしてみるとより一層、何故か、重みが出る。しゃべった言葉は、記憶には残るが、発したその場の言葉自体は空気とともに、どこかに消えていく。しかし、紙に書きだした文字は、捨てたり破いたり燃やしたりしない限りは手元に残る。その重みを感じてもらいたかったということもあるが、更には、具体的にその夢に近づくためのステップ(目標)を書いてもらった。また、それぞれの言葉の定義も明確にしながら、彼の中にある思いを紙に書きだしていく作業だ。格好つけるなよ!と言うが、高校3年生にもなると、やっぱりいっちょまえに格好つけた事を書いてくる。それも、成長ととらえて、一つ一つ紐解いていく作業が必要だ。丸裸になって、初めて、自分を見つめ、その上で、やっぱりやりたければやれば良いし、いや、もしかして違うかも?と思えば、新しい道を探しても良い。自分を改めて見つめなおす作業は、やってみると、結構苦しい作業である。

<本当に今時の子だ!と自分の息子ながらに感じた一言>

 上述した様に、彼の夢はそんじょそこらの人間がなれるものではなく、非常に厳しい世界である。成功すれば良いのだが、そもそも目指す99%の人が途中であきらめる世界である。諦めきれずにずるずると行く場合もあるだろう。もちろん手遅れというものは無いのだけど、ある程度大人になってしまえば、周りの同じ年くらいの人がやっている様な事は出来ない、中々社会に出られず、ニート化し、昼間は一切家から出ず、夜に徘徊する人もいたりすると聞く。親としては、中々の恐怖だ。彼には、親として、学校卒業まではしっかりと成長させるが、そこからは、自己責任の中で、やっていけよと言っている。特に金銭面のサポートはやってはいけないと思っている。そこで、「将来に対しての不安は?」という質問をぶつけてみた。最初に帰ってきたのが、「家事が出来ないから、一人暮らしが不安」と帰ってきた。中々、ずっこけた。そうか高校3年生は、そんな目の前部分で不安を感じるのか。。。確かにとうなずく。いや、でも、将来という言葉の定義が曖昧なだけであって、更に先の長い話でもう一回聞いてみようと、「50歳や60歳になったときの話」として、もう一回振ってみた。するとどうだ「一人暮らし以外は不安無し。年をとっても生活がままなれば元気にやっていける」と帰ってきた。「来た-、今時の子供だ!」と思った。。。ん?でも、そんな風に思うのは、僕だけかもしれないという不安は、これを書きながら思うこともあるのだが。。。どうなのだろう。そもそも、彼には、今まで何一つ不自由なくしてきたと思う。ひもじい思いも確かにさせてないし、そもそも、食に興味が無い。ごはんとふりかけがあれば、良いタイプだ。欲しいものも、彼が夢としている仕事に就くために必要なものばかりだ。基本的に一般的な高校生が持つ様な物欲も無い。お金への執着心も無い。コロナ自粛の今も、ずーーーーーーーっと部屋に居て、勉強は時々やっているが、自分の好きな事をして一日楽しんでいる。

<生活がままなれば>

 そうここが問題である。生活がままなれば、という状態はどういう状態を指すのか?親が思うに、今まで何不自由ない(もちろん特段贅沢もさせてない、月の小遣いは3000円程度だ)生活をさせてきているので、「生活がままなれば」の定義が軽い。でもここでこう思う、僕らの世代の生活って、きっと月給50万は欲しい、何なら100万欲しい、車が欲しい、いつか家を建てたい、海外旅行に行きたい、洋服が欲しい、高級レストランで美味しいフレンチを食べたい、など、ベクトルが完全に自分しか向いてない強欲の塊の想いなのだ。もちろん、全員が全員そうとは限らないが、実際問題、年間1000万近くもらっていても足りない人には足りない金額になる。でも、実は、普通に暮らす限り、今の彼が求めている「生活がままなれば」というレベルを考えると、きっと月10万円もあれば、生活していける。面白い。戦後世代(僕らの親世代)は食べ物がNo1の価値だ。その後の世代はお金だ。そう僕らの世代だ。その後の世代になって心が価値No1の世代と言われているが、じゃぁ、息子世代は何になるのだろうか?確かにこの日本に居る限り、頑張って複数でアルバイトすれば、生活は何とかなる。家族は一人では養えないかもしれないが、女性の社会進出がこれからも加速度的に増えていく事を考えると、必ずしも一人で、家族を養う必要ななくなる。その彼女も息子と同世代であれば、尚更、強欲豪勢な生活は必要としていないだろう。多様性の世界で、一つの仕事にしがみつく人生から、様々な業種を一度にこなしていく様なポートフォリオを組みながら生活していく人が増えていくと言われている。そういう意味で、息子の言う、自分のやりたい事をしながら、この「生活がままなれば、元気にやっていける」という言葉は、48歳のオヤジを納得させる言葉である。普通なら、「世の中甘くみるんじゃねー!」と、しかり飛ばされているのだろうけど、僕は違う。納得した。やっぱりうちの息子は面白い。多分、これくらいお気楽な方が、うまくやっていくのだろう。もしかすると、一発当てるかもしれない。

<そんな息子にも一言>

 最近、#シン・二ホンという、#安宅和人教授が書いた本を読んだ。使っている言葉も非常に難しくて、どこまで理解できているのかさえも、正直全く分からない。きっと出てくる言葉を一つ一つかみ砕いて、自分のものにし、もう一回読んで、更にかみ砕いてを、何度か繰り返さないと理解出来ない本である。でも、二ホンの将来に対する並々ならぬ思いと、二ホンの未来は悲観的ではない、立ち上がれる、という気持ちは、ビンビン伝わってきた。更に読み込みたいと思う。私自信、日本国というプラットフォームをベースに、世界に向けて、息子も含めて、今の若者が立ち上がり、Withウィルスの世界で一旗あげるための一助となれる様に熱量をもって行動出来る様にしていきたい。シン・二ホンの最後の言葉、安宅教授の好きな言葉だそうだが、僕も大好きだ。

「一日生きる事は、一歩進む事でありたい 湯川秀樹」

まだ、3歩目が出ていないと思っている自分だが、息子とのやり取りも含めて、実は一歩一歩着実に足は出ている事認めよう。息子にも、コーチングのやり取りの中で、この言葉を送ろうと思う。頑張れ息子!頑張れ俺!

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