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はじめまして ー傲慢さと卑屈さについて、私の考えたことー

ども。古橋です。今回は、山川さんに代わって、私が書きます。
どうぞよろしくお願いします。


1. ありがとうとごめんなさい

まだ始まって間もないにも関わらず、この番組にはいろんな方からの反響が寄せられています。内容は様々ですが、リスナーのみなさんの聞き方が非常に深いというのがとにかく印象的。質問やコメントも素晴らしいものが多く、自分でも思いもよらなかったような引き出しが開かれることもあり、いつも大変楽しみにしています。

しかし、つい触発されて、グッと力が入り過ぎてしまったり、全然別の話に飛んでいってしまったり。おしゃべりとはいえ、気がつくと最初の質問から大いに脱線していることもしばしば。。。すみません。後から聞いて恥ずかしくなったり、反省したりの繰り返しです。まだまだ初心者運転中ですが、今後ともどうぞよろしくお願いします。

2. 大学は新たな現場(フィールド)

さて、今日は番組の中に登場した「傲慢さと卑屈さ」というトピックについて、私が教えている大学の学生さんたちとのやりとりをご紹介させていただきながら、頭の中にフワフワ浮かんでいる思いや考えを書き留めながら、もう一度思考を巡らせてみようと思います。

私は現在、岡崎市にある愛知学泉短大の専任講師として働いています。しかし、以前は、名古屋市の港区でまちづくりのコーディネートやマネジメントを10数年、学生時代から数えると、NPOや社会貢献の分野を20年以上も渡り歩いて来ました。そんな私のことを山川さんは「古橋さんは現場の人」と見ているようで、この番組では「フィールドワーカー」という称号をいただくことになりました。確かに、これまでも様々な社会活動の現場(=フィールド)で探究を続けてきましたので、そういう匂いが身体に染み付いているんでしょうね。尹さんは耳がいいですが、山川さんは鼻が効く(笑)。そんなお二人とのやりとりは、本当に楽しいのです。

話を戻します。私が大学に来てみたら、実は大学の授業って、まさに教育という社会活動の現場そのものなのです。一人ひとりの学生が抱えるリアルに向き合えば向き合うほど、多様な背景があり、中途半端な介入で片付けられることなんて何一つない。もちろん、個々の課題とは、それぞれの人生ですから、私が解決することはできない。学生たちが自分でどうにかするしかない。では、教員の私には、一体何ができるのか? 毎日が真剣勝負というのは大袈裟ですが、ヒリヒリしたリアルに立ち尽くしてしまうことも少なくありません。

教育現場が抱える問題や課題の基本的な構造やそれと向き合う方法については、これまでに私が体験してきたまちづくり活動や社会貢献活動とさして変わらないものを感じています。私たちは、社会とか時代から多大なる影響を受けながら、誰もが個人的な人生を生きて働いている。もはや、社会に役立つ人材を育てるという発想は時代遅れ。むしろ、その今の空気を敏感に感じとっている学生たちの言わんとすることに耳を傾けながら、これからの社会の在り方を一緒に考えていく方が、現代の大人としては健全な態度なのではないでしょうか。その意味で、大学は私も試される刺激的な学舎(まなびや)なのです。

私がどんな授業をしているのかというと、例えば最近、私のゼミでは、この「そしておしゃべりは続く」を教材に取り上げました。番組を視聴して、その感想をグループで語り合ったり、全体で発表したり。リスナーならどんな投稿をするか? なんて問いを投げかけてみたり。学生さんたちの反響は様々で、いろいろなことを考えているようです。そして私も日々、そこからたくさんのことを学んでいるのです。

3. ポッドキャスト授業ー意識高い系の会話?

さて、ようやく今日の本題に入ります。
Session#02「そういうことがあって、こういうことになっている」では、「傲慢さ」と「卑屈さ」というトピックが複数のリスナーさんからの質問で再登場しました。種々の解釈や反応があり、その推察や読み解きの深さに私たちの集中力がグッと引き上げられたような感触が今でも残っています。

で、そのシーンをさしての学生さんたちのコメントが秀逸なんですが「意識が高そうな人たちの会話で難しそうだなと思っちゃいました」と指摘するんですね。正直、ドキッとします。でも、その言葉選びとは裏腹に、嫌味な印象はなさそうなんです。

「えっと…聞いてもいいですか? それは、ポジティブな意味で? それともネガティブな意味で?」

「うーん、たぶんポジティブです…」

「なるほど、ポジティブなんですね…つまり、もっと知りたい?」

「あ、そうです。でも難しくてついていけなくなっちゃって…」

私は、このコメントが嬉しかったと同時に深く反省させられました。番組では、つい入り込んで思考を巡らせるままに話してしまったし、それしかできなかったんですが、それがある種の「わからなさ」を漂わせてしまっていたのです。質問してくれた学生さんがそれをポジティブに捉えていてくれたのは救いでした。きっと「わからなさ」に嫌気がさしてしまった人もいるでしょうし、自分とは関係ない話と思ってしまった人もいたとしたら、非常に残念です。話し手としては、疎外感はできる限り生じないようにしたいものです。

そこで、私は再度自分なりの解説を試みたり、ホワイトボードにイラストを描いてみたりして、学生さんたちと、様々な議論をしました。それが、どれくらい伝わっていたのかは、定かではありません。しかし、そうした授業を回しながら、こういう場の貴重さを感じていました。そして、これはいつか別の場所でもう一度考えてみるべきだなぁと思っていました。

4. 再考「傲慢さと卑屈さ・・・」は、尹さんにどんな雷を落としたのか?

この機会に、その授業のことも振り返りながら、私が今考えていることを記述してみようと思います。私が尹さんのお話、またリスナーの皆さんからのコメントを経ての対話の中で理解したことは、概ね以下のような事柄です。

●あの場面で語られた「傲慢さと卑屈さの間しか行き来できない」は、TVの中のDV夫が、自己の領域だけで、すべての物語を完結させてしまっている有様を鋭く批評した言葉だった。

●尹さんは、その言葉を耳にして雷に打たれたような衝撃を受けた。

●それは尹さんにとって、もの書きという職能が拓かれる転機となった。

●尹さんご自身が「そういうことがあって、こういうことになっている」と言うように、その言葉がなぜ自分の転機になったのかを明快に説明することは、未だにできない部分があるという。またしかし、そうした出来事は誰の人生にもあるのではないかと、私たちに投げかけている。

●「傲慢さ」という人を見下す奢(おご)り、「卑屈さ」という自らを勝手に卑下するへつらい。そのどちらにも、他者は介在していないと尹さんは言う。

●カクカク時代の尹さんもまた身動きが取れず、自己完結してしまいがちな窮屈さから自由になる方法を無意識に模索していたのかもしれない。そんな時に「傲慢さと卑屈さの間しか行き来できない人なんですね」という言葉は、DV夫を批評した呟きではあったが、尹さん自身の在り方を映し出す鏡のような役割を果たしたものかもしれない。

最後は、私の推察ですし、あるいは言葉にすると野暮とか、薄っぺらい、あるいは誤解を生む表現になってしまう類のものかもしれません。しかし、ここでは、敢えて自分の思考を見定めるために書いてみました。それは、私なりに自分の「傲慢さ」と「卑屈さ」を越えて、尹さんや山川さんを始め、リスナーのみなさんとのおしゃべりを続けていくためのコミュニケーションです。

心理学者のある友人から教わったことですが、最新の心理学研究において「心」は「人と人の間」に存在すると示されているそうです。心は、私たちの胸の内や脳の中にあるのではなく、私たちの「関係」の中を行き来する動的な存在と解釈されているのです。私は、この説が好きです。心が通う、コミュニケーションがとれるというのは、心が人と人の間を自由に行き来しているような状態のことを指す。なんだか、心が動的で自由な感じがして、いいですよね

それに対して、「傲慢さ」と「卑屈さ」の間を行き来する心は身動きがとれない囚人のようです。尹さんは、Session#03のおしゃべりの中でも「ちゃんと言ったら、ちゃんと伝わるはずだと言うのは、すごく一方的なこと。またそれは、自分と同じような人間を設定することでしかない他者不在な状況なんです」と言われました。心が人々の間を行き交うのではなく、一人の人間が抱えてしまうと、心は個人に囚われてしまう。

コミュニケーションを再開するためには、信頼できる相手を見つけて、自分の気持ちを解く、囚われた心を開放してあげる必要がある。ちょっと勇気がいるし、怖さもあります。

だから、普段からのおしゃべりが大事だし、それができる友人が大切なんですね。
あなたが思っていることは、あなただけで思っているのではなく、私が言ったことに反応した思いの表現です。つまり、私の思いの表現とあなたの思いの表現が影響しあって、私たちの心というものが構築されていく、それをまた私たちは、それぞれに受け取り合う。誤解もあれば、行き違いもあるかもしれません。しかし、かといって、そのやりとりをやめてしまっては、私たちの心はどこにも行けなくなってしまう。それは、私たちの社会が行き詰まることそのものでもある。。。というのは少し大袈裟かもしれませんね。

5. 私たちだけのものではないおしゃべり

さて、ここまで書いてみて、これを尹さんや皆さんに読んでもらうのは、ドキドキするなと思います。これは、おしゃべりとはまた違う種類のドキドキです。でも、それがもし違っていたとしても、きっとまた何かこう豊かな答えというか、考えが深まっていくような展開になるんじゃないかという期待もあります。そんなふうに信じられる関係が育っていることは、とても貴重なことですよね。

この番組でおしゃべりをしていると、なんというか、だんだんと3人だけで話しているのではないような不思議な感覚になるときがあります。私たちのおしゃべりには、その時々の話題はあったとしても、筋書きはありませんので、急に飛んだり、深いところに潜り込んでみたりとまるで脈絡がないかのように広がっていきますが、リスナーの皆さんが聞いてくれるおかげで、それがどこかの誰かには届いているようです。番組を聞いたり、これを読んだりして、また何かを思った方は、ぜひ番組にご意見をお寄せください。楽しみにお待ちしております。(古橋)

メッセージは life-stories@kasugai-bunka.jp まで送ってみてください。
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